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「ナナ」

エドワール・マネ (1877年)

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 ”輝く美貌と豊満な肉体で、男たちを手玉に取る”高級娼婦、ナナ。コケティッシュで生き生きと輝く彼女は、魅力的な立ち姿とともに、見る者に強烈な印象を投げかけます。
 タイトルの「ナナ」は、1880年に出版されたエミール・ゾラの小説「ナナ」や「居酒屋」に対応したものです。というより、マネの描いた「ナナ」を見て、小説の構想を練っていたゾラが多大なインスピレーションを受けたとさえ言われているのです。ゾラはセザンヌの学友でしたが、その縁でマネや印象派の仲間と親交を持ったことは知られています。彼らは互いに刺激し合い、影響を受け合いながら、芸術家として成長していったのでしょう。
 この作品の中のナナは口紅とパフを手にして、画面のこちら側をキュッと見つめています。でも、それは、例えば「オランピア」に見られるような挑戦的な視線ではありません。自らを称賛の目で見つめる私たちを婉然と見つめ返しているかのようです。

 フランスにおける第二帝政期には、12万人の娼婦がいたと言われています。つまり、19世紀のパリは多くの娼婦が生きていた街だったわけです。その中でもこの女性は、身につけているサテンのコルセットや刺繍の施された高価なストッキングから、数少ない高級娼婦の一人とわかります。彼女の背後の日本屏風には鶴が描かれていますが、フランス語の「鶴」が高級娼婦の隠語であることも、それを裏付けているのです。
 モデルをつとめたアリエット・オゼール嬢は、実際に当時、オランジュ侯の愛人でした。しかし、画面の端に座っているパトロンの所在なげな表情に比べ、堂々と中央に立つオゼール嬢の余裕の笑顔は対照的です。向かって左側の椅子に置かれたペチコートを着け、豪華なドレスをまとったら、くだんの紳士と夜の街に出かけるのかもしれません。しかし、どうやら主導権はしっかりと彼女が握っているように感じられます。

 ところで、オシャレで洗練されたイメージを描いたこの作品は、サロン(官展)では残念ながら落選しています。理由は、非道徳であるというものでした。しかし、マネ(1832-83年)は「サロンこそ真の戦場だ」との信念で、サロン入選という世俗的な名誉に執着し続けたのです。そのため、印象派のような無名の若い画家たちのグループと関わりを持っても、その仲間になることは決してありませんでした。そんなリスクをおかせば、サロンでの成功が遠のくからです。
 それでありながら、なぜか「草上の昼食」「オランピア」といった作品を次々に発表してスキャンダルを巻き起こし、不道徳なボヘミアン画家としてパリの有名人となってもいたのです。画家のこの矛盾した要素は、新しい作品であっても古典のように見えなければ受け入れてもらえない時代と、画家とのギャップだったのかもしれません。生粋のパリジャンだったマネの独自な美意識は、まだ他の人々には及びのつかないものだったと言えそうです。

★★★★★★★
ドイツ、 ハンブルク美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎印象派
       アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳  講談社 (1995-10-20出版)
  ◎印象派美術館
       島田紀夫著  小学館 (2004-12出版)
  ◎西洋美術史
       高階秀爾監修  美術出版社 (2002-12-10出版)
  ◎西洋絵画史who’s who



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