今にもこちらに語りかけてきそうな人物の、その内面にまで深く思いをいたさずにはいられない、みごとな肖像画です。レンブラントが画家として成功した一因が、そのすぐれた肖像画の数々にあったことが素直に頷ける作品です。丁寧に筆が重ねられたごく初期の作品ですが、もしかすると、後年に描かれたどの肖像よりも、また、この時期の他のオランダの肖像画家のどの作品と比べてみても、この絵は群を抜いた存在かもしれません。
モデルのニコラース・ルッツ(1573-1638年)はアムステルダムで身を起こし、ロシア貿易などで成功を収めた人物です。晩年は不遇だったようですが、この作品では彼のみごとな人生までもが描き出されているようです。
レンブラントは1606年、オランダのライデンに生まれました。20代の初めには、既にその才能は注目されていました。そして1631年、この作品を描いた年にアムステルダムに移住し、画商のファン・アイレンビュルフと契約を結んでいます。そして、その3年後には画商の姪で裕福な家庭の娘だったサスキアと結婚します。そんな前途洋々、新進気鋭のレンブラントには注文が殺到していました。後年に訪れるさまざまな苦労など、このころのレンブラントには考えも及ばなかったに違いありません。
この作品は、レンブラントがアムステルダムで制作したほとんど最初ともいえる注文肖像画です。なんと心のこもった繊細なタッチで描かれていることでしょう。注文主の意に沿うように、と心を砕く若きレンブラントの姿が目に浮かぶようです。
斜め上から射す光が、彼の顔に柔らかな陰影をつくっています。やや眉を寄せ、メモを差し出す彼の親指の爪に宿る一点の光の美しさ、首を覆う白い衿飾りのフワフワとした繊細な質感、肩に掛けた毛皮のモコモコ感、どれをとっても目の離せなくなる逸品です。モデルの容貌を伝えるという肖像画の基本的な機能を超えた迫真性が、見る者をとらえて放さないのです。
★★★★★★★
ニューヨーク、 フリック・コレクション 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社(1989-06出版)
◎バロック1 世界美術大全集 西洋編16
神吉敬三, 若桑みどり 編集 小学館 (1994-05出版)