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「バベルの塔」

ピーテル・ブリューゲル(父) (1563年)

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 大洪水で、ノアとその子らがアララト山にたどり着いた後、人間たちは繁栄の時期を迎えました。東方から移動してきた人々はシンアルの地に平野を見つけて住みつき、そこで天まで届く巨大な塔の建設を夢見て大工事を始めたのです。それは、一つの言葉でつながった一つの民が各地に散り散りになってしまうことを恐れたためでした。人々は石のかわりに煉瓦を使い、しっくいのかわりにアスファルトを使うという最新の技術を用い、天を衝くほどの偉容を誇る塔を築いていきました。
 ところが、いよいよ完成に近づいたとき、神が天から降りてきて、呟きます。
 「彼らが一つの民で、一つの言葉を話しているから、このようなことを企てたのだ。直ちに彼らの話す言葉を混乱させ、互いの言っていることが聞き分けられないようにしてしまおう」。
 そのため、人間たちは突然意思の疎通ができなくなって混乱をきたし、やがて散り散りばらばらに全世界に散ってしまったのです。こうして、巨大な都市の建設は放棄され、あとに残ったのはバベル(混乱)と呼ばれる建設途上の塔だけでした。

 この余りにも有名な寓話は、だれでも幼いころに一度は聞いたことがあり、それぞれにさまざまな感想を持った思い出があるのではないでしょうか。神の怒りにふれて瓦礫の山になってしまう塔のお話には、人間の思い上がりや愚かさへの批判が込められているわけですが、ピーテル・ブリューゲル(1525/30-69年)の興味はむしろ、その構築物や木工技術、工事のさまざまな様子にこそあったのではないかという感じがします。
 この作品の中には、工事に使用される大掛かりな道具類、足場を渡して作業する人々などが非常に克明に、生き生きと描かれているのですが、そのインスピレーションのもととなっているのが、1552年から55年ごろまでの長期にわたるイタリア旅行ではないかと言われています。ローマで見たコロッセウムは、聖ルカ組合に登録され、親方になったばかりのブリューゲルのみずみずしい感性に大きな衝撃を与え、この完成不可能と思わせる巨大建造物を描かせたのかもしれません。
 しかし、ブリューゲルは、イタリアで見てきた古代の遺跡や彫刻の素描を一切残していませんし、自作にイタリア的なものを取り入れたりもしませんでした。そのあたりが、他の「ロマニスト」と言われた画家たちとは異なる点です。しかし、彼の中に、旅行途上で見たアルプスやヴェネツィアの風景は、確かな形で根を下ろしていたに違いありません。
 また、ここで注目したいのは、非常に絶望的で教訓的な主題を描きながら、画面が不思議にカラッと明るく、小さく描き込まれた人々がユーモラスでさえあるという点です。彼らはそれぞれに一生懸命生きており、王の意向や、もしかしたら神様の意向すら意に介していないかもしれません。ブリューゲルは、しばしば友人と連れ立って農村に出かけ、縁日や結婚式に紛れ込み、自らも十分に楽しみながら、人々の様子を観察することも多かったと伝えられています。そんな彼の庶民への温かい眼差しが、どんな境遇の中でも生き抜く強さと明るさを持った名もない人々を描く源泉となっており、重々しいはずの伝統的な宗教主題までも、庶民のパワーあふれる、何やら明るい画面に変えてしまっているのかもしれません。

 ところで、この塔は架空のものではなく、古代メソポタミア文明の中心地、ユーフラテス河畔に建設されたバビロンの町を指していると言われています。画面左下で白いマントを羽織り、労働者たちに命令をしているのは、伝説的なバビロンの征服者であり、塔の建設を監督したニムロデ王なのでしょう。その背後の巨大で不安定な塔は、随所に矛盾と倒壊の危険を抱え微妙な傾きをもって、永遠に完成することのない運命とともに、そびえ立っているのです。

★★★★★★★
ウィーン、 美術史美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎絵画を読む―イコノロジー入門
       若桑みどり著  日本放送出版協会 (1993-08-01出版)
  ◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
       諸川春樹監修  美術出版社 (1997-03-05出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
  ◎西洋絵画史who’s who
       美術出版社 (1996-05出版)



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