なんという嘆きに満ちた作品でしょうか。「ピエタ」といえば「哀悼」。聖母や、キリストを慕う人々の限りない悲しみが描かれているものです。
しかし、ここに描かれた悲しみには、やり場のない怒りさえ籠められているようです。この強烈な表現に、見る者は呑まれます。なぜ、ここまで…..と思ってしまうのです。十字架から降ろされたばかりのキリストの傷跡もあまりに生々しく、これでは、一片の救いもないように感じられてしまうのです。もっと言えば、聖性ということとは少し異質の、聖人たちの嘆きぶり….という印象でしょうか。登場人物たちの皺の一本々々、髪の一筋々々にいたるまでの精緻で金属を思わせるほどの線にも、ただならぬ胸騒ぎをおぼえます。
しかし、これは15世紀ヴェネツィア派の中で、特異な画家としての位置を占めるクリヴェリならではの表現といえると思います。背景には、まるで空間恐怖症を思わせるほどに熾天使、智天使がぎっしりと描かれ、上から垂らされた、金糸の刺繍が施された豪華な布の厚み、その感触は、観賞するこちら側にもはっきりと伝わってきます。それはもう、手を伸ばせば触れられるほどの明快さで、ある意味怖いほどですが、この、この上ない贅の限りを尽くした絢爛豪華な表現こそ、カルロ・クリヴェリそのものなのです。
1457年、クリヴェリは、人妻を誘拐して6カ月にわたって同棲した罪を問われ、有罪となりました。禁固6カ月、200万リラの罰金を科せられ、その後は各地を放浪せざるを得ない身の上となります。一時、ユーゴスラヴィアのサダールに滞在しましたが、のちには中部イタリアのマルケ地方に落ち着き、 1495年に60歳代で生涯を閉じるまで、その地で制作を続けました。
クリヴェリは、この辺境の地で、ビザンティン風の金地背景をもつ多翼祭壇画を数多く描いています。その画風は多分にゴシック的で、硬質な線と豪華な装飾性が特徴でした。しかし何より人々の心をとらえたのは、その過剰なほどの劇的な演出、ここにみられるような悲劇性だったかも知れません。人間の心の奥に、ゆらゆらと燃えている狂気に似た小さな炎が、クリヴェリの作品を見ることで、人は確かに自分の中にもあると再認識させられてしまうのかも知れません。見ることをやめたいと思っても、なぜか目が離せなくなる…そんな底知れない魅力を、クリヴェリ作品は持っているような気がします。
キリストの痛々しい左手が、まるでまだ生あるもののごとく画面のこちら側に差し出されています。筋張った指が、いまだ苦痛にゆがんでいるのを見るとき、私たちはあまりの現実を超えたリアリズムに、呑み込まれていってしまうのです。
★★★★★★★
ローマ、 ボルゲーゼ美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-03-05出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)