死せるキリストへの哀悼、ピエタという主題は、ベッリーニの主要なテーマの一つであり、さまざまなバリエーションで晩年まで描き続けています。それほどに画家の心をとらえ続けたということなのでしょう。
この作品はヴェネツィアのマルティネンゴ家に所蔵されていたもので、北方彫刻に多い、キリストを膝に抱く哀悼図像の系譜をひいています。悲しみに沈む聖母の顔には深い皺が刻まれ、長年の心労のあとが見てとれます。やっとその腕に帰ったときには、わが子は天の父のもとへ旅立った後でしたが、それでも、聖母のやつれた表情には安らぎが広がっているようにも感じられます。
ジョヴァンニ・ベッリーニ(1433-1516年)は、15世紀におけるヴェネツィア派絵画の確立者として知られています。彼によって、盛期ルネサンスの巨匠ジョルジョーネやティツィアーノへの道が拓かれたと言っても過言ではありません。
ヴェネツィア派絵画とは、ベネツィア共和国において15世紀後期から急速に発展した絵画動向で、色彩による情趣の表現を特徴としています。フィレンツェやローマの美術が形体やデッサン力を最も重視したのに対し、ヴェネツィアの画家たちは絵画の質感や雰囲気を通じて、見る者の感情に直接訴える効果を追求したのです。詩的情緒のこもった自然の景観、光と影の効果による人間表現など、その後の西洋美術の発展はヴェネツィア絵画から始まったのかもしれません。
ジョヴァンニ・ベッリーニは画家の父と兄を持ち、義兄にはアンドレア・マンテーニャと、まさに芸術家一族の中でさまざまな影響を受けていました。中でも、アントネロ・ダ・メッシーナがヴェネツィアに滞在したおり、その微妙で柔らかい光の効果にふれ、古い体質を一気に脱していったようです。彼のお気に入りのテーマは聖母子像でしたが、作品の中に風景表現をとり入れることも晩年のベッリーニの大きな特徴でした。
この作品を見ると、同年に描かれた「牧場の聖母」が思い起こされます。背後には、アルプスを背にしてヴィンチェンツァの主要な建物や風景が広がり、自然の中の聖母とキリスト、という主題は詩的な感情表現を目指した晩年のベッリーニにとって重要なものだったに違いありません。
しかし、70歳を超えた巨匠はこの作品の中で、さらに新たな試みに挑戦していました。準備素描をほとんどせず、純粋な色彩のみで作品を完成させようとしているのです。これは「トナリズモ」(色調主義)の効果を試したもので、ベッリーニの衰えぬ創作意欲を感じさせます。そんな画家の情熱が、このあまりにも劇的で静謐な画面となって結実しているのです。
★★★★★★★
ヴェネツィア、 アカデミア美術館蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳 日本経済新聞社 (2001/02出版)