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「ピラトの前のキリスト」

ティントレット (1565-67年)

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 ピラトの前に立つキリストの、観音立像のような白い姿が印象的です。キリストはすでに光に包まれた存在となっており、今にも魂が肉体を離れていくのではないかと感じられるほどです。

 ボンテオ・ピラトは、26~36年にわたってユダヤ、サマリア、イドマヤを治めたローマの第5代総督でした。ピラトにとって、イエスと出会ってしまったことが彼の一生にどのような意味を持つものだったのか、複雑です。今の私たちは少なくとも、イエスとのかかわりにおいてのみ彼の名を知っているわけですから、私たちにとってピラトは、ローマの法制史に名を残す一人の政治家という以上の意味を持つ存在であることは間違いありません。彼はイエスの死の、法的な立場にもとづく証人なのです。
 ただ、ピラト個人はこの時、困惑と懊悩の極みにいたことでしょう。審問によって、彼はイエスがいかなる法律に照らしても無罪であること知ります。そこで、イエスを放免しようと考えるのです。しかし、ユダヤ人たちは、イエスを死刑にせよと騒ぎ立て、その声はますます強まるばかりで抑えようのないものとなっていました。ピラトの妻までが彼に、
「あの義人には関係なさいませぬように」
とささやきます。そうなると、ピラトには保身が第一でした。そのため遂に、彼は暴動を恐れ、群衆の意にまかせる決意をしてしまうのです。
 ここで、ピラトは少々ずるい手を使います。イエス磔刑の決定に関して自分が潔白であること示すため、群衆の前で手を洗ったのです。この作品の中では、下僕の差し出した水差しから水が注がれ、そこに手を差しのべながら、ピラトは心なしかイエスから目をそむけています。彼は自分に言い聞かせていることでしょう。これでいいのだ、悪いのは群衆だ、私は何も間違いをしていないのだから…..と。

 ルネサンスのヴェネツィア派最後の巨匠ティントレット(1519-94年)は、ライバルたちに勝つためにはどんな策でも講じる人物だったと言われています。その真偽のほどはともかくも、彼はこのサン・ロッコ同信会館のアルベルゴの間の装飾という重要な仕事を勝ち取るために、意外な行動をとっています。審査の前夜、その部屋へ忍び込み、試作品を完成させてその場に設置してしまったのです。他のライバルたちは大体の下描きしか用意していませんでしたから、ティントレットのみごとな完成品に目を奪われた会員たちは一も二もなく彼と契約を結んだのです。
 その後、1564年から87年にかけての23年間、ティントレットはサン・ロッコ同信会館の建物および付属聖堂の装飾に携わりました。主題は、キリストとマリアの生涯、旧約聖書諸場面、諸聖人像、寓意像からなり、総数68点にも上ります。広い部屋の側壁は、キリストの受難を描いた巨大なカンヴァスで覆われましたが、この作品を含めた「キリストの磔刑」に至る諸場面は、同信会の意向とティントレット自身の芸術的意図に則って並べられました。まさに同信会の誠実な信仰心と画家の才能が一つになって展開した連作といえるのではないでしょうか。

 「ティツィアーノの色彩とミケランジェロの線描を持ち合わせた画家」とうたわれたティントレットは、燃えるような情熱をもって会館内のほとんどの作品を一人で描いたと記録されています。周囲の喧噪とは全く異質なキリストの表現に、ティントレットその人の孤高の精神と芸術への強い思いが反映されているように思えてなりません。

★★★★★★★
ヴェネツィア、 サン・ロッコ同信会館、アルベルゴの間 蔵



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