教皇を描いた肖像であるはずが、何と うさん臭い雰囲気を漂わせた作品なのでしょうか。年老いたパウルス3世は狡猾そうに視線を走らせ、隣で へつらうように腰をかがめる孫のオッターヴィオをギロリと一瞥しています。このオッターヴィオは、パルマとピアチェンツァの第2代公爵となった人物ですが、実は孫ではなく、パウルス3世の息子であると言われています。そんなことを様々に考え合わせてみると、そこには何ともドロドロした宮廷の息苦しい人間関係が見えてくるような気がしてきます。
描かれているパウルス3世は、本名をアレッサンドロ・ファルネーゼといい、衛兵隊の家系であるファルネーゼ家の出身です。自堕落な生活を送ったわりには教会内で出世したのも、妹のジューリアが、1492年から1503年の間教皇を務めたアレクサンデル6世の愛人だったためといわれています。しかし、パウルス3世の選任時は、アルプスの北でルターによる新教が勢力を伸ばし、カトリック教会の危機の時代を迎えていました。そこで、反宗教改革運動によってローマの教会の改革を進めたという意味で、パウルス3世の存在意義は大きかったといえます。しかし反面、機会あるごとにファルネーゼ家の人間を取り立て、ここに描かれた二人の孫アレッサンドロとオッターヴィオもまた、枢機卿に任命しています。ティツィアーノは、そんな身内びいきの枢機卿の姿を描いたということになります。
ティツィアーノは、年老いた枢機卿が、おそらくこの露骨な絵を受け取ることはないと考えたようです。結局、この作品を描きかけのまま放置して、市民権まで得たローマを発つ際、完全に放棄してしまいました。ですから、この肖像はいまだに未完成のままなのです。
結局、ティツィアーノはファルネーゼ家に別れを告げたわけですが、ファルネーゼ家との関係が損なわれることはありませんでした。しかし、なぜ教皇自身にはあと二人の孫がいたにもかかわらず、アレッサンドロとオッターヴィオだけしか描かれなかったのか、そして画家が、なぜこれほどまでにあからさまな作品を敢えて描いたのかについては、いまだに謎です。ヴェネツィア絵画の巨匠ティツィアーノの、生涯にただ一度のローマ旅行の際に一体何があったのか、今でも確かな解答は得られていないのが実情なのです。
しかし、そうした謎や疑問を残しつつも、また、未完であることの不満もありながら、この作品には、色彩の錬金術師といわれた巨匠ティツィアーノの真髄を思わせる赤い色調が満ちているのです。それまでの作品には見られなかったほどの濃密な色彩の使用は、ローマ旅行での充実を思わせます。そして、素早いスケッチ風の描写には、ティツィアーノの大胆な筆触が生き生きと踊り、細部が未完のままであることがかえって人物たちの性格や思惑を浮き彫りにし、低く くぐもった話し声までが画面の中から聞こえてくるような錯覚を起こさせるのです。
★★★★★★★
ナポリ、 カポディモンテ美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎ティツィアーノ「パウルス3世とその孫たち」―閥族主義と国家肖像画
ロベルト・ザッペリ著、吉川登訳 三元社 (1996-08-25出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳 日本経済新聞社 (2001/02出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)