流れる雲の下、緑なす田園地帯の爽やかさは、思わず深呼吸してみたくなるような美しさです。緑や青を主とした寒色系の画面の中に置かれたわずかな赤がアクセントとなり、作品に温かい、やさしい情感を与えてくれます。こんなところからも、画家の故郷への深い思い入れが伝わってくるようです。
ここはカンスタブルの故郷、イギリス東部のイースト・バーゴルト近郊、フラットフォードの光景です。そして、水門の向こうに見える建物は、この年の5月に亡くなった画家の父親が所有していた製粉所なのです。両親の手伝いでしょうか、働く子供たちや足の太い従順そうな馬、遠景の人々、そして、みずみずしい緑の木々や足元の草花などが丹念に描かれ、すべてが製粉所を中心に広がっていくように描かれています。
ジョン・カンスタブル(1776-1837年)はのちに、「故郷が自分を画家として育ててくれた」と語っています。彼の風景画家としての原点は、まさにこの美しい故郷にありました。
裕福な製粉業者だった父は息子を後継者にと望みましたが、息子の願いを知り、ロイヤル・アカデミー付属の美術学校へ送り出してくれます。両親は、せめて需要の多い肖像画家になってほしいと望んだようでしたが、一途なカンスタブルは徹底して風景画家の道を歩みました。しかし、当時の美術界では、まだ風景画の位置は低くみられており、名所旧跡ならまだしも、カンスタブルの描く穏やかな田舎の風景に理解を示す人は少なかったのです。ですから、絵は売れず、フランスの画家ジェリコーによって見出されるまで、長く父親の援助を受けることとなります。
ところで、カンスタブルの絵は緻密に見えますが、実は比較的荒いタッチで描かれています。大気の揺らぎや光のきらめきをみずみずしいタッチで描き出そうとして、こうした表現になったのです。しかし、当時の人々には、この新鮮な表現が、まだ仕上がっていない中途半端なものに見えてしまったようです。このあたりは、彼が印象派の画家たちのような眼を持っていたことを感じさせます。一瞬一瞬変化してゆく自然の美しさ、色彩のきらめきを、カンスタブルは全身で感じ取っていたのです。
この作品は、彼が7年越しの恋を実らせて結婚する直前に制作したものです。予定より時間がかかり、婚約者のマリア・ビックネルにロンドンでの挙式を延期したいと書き送り、激怒させたといういわくつきの作品なのです。それほどに思いがこもっているのは、やはり、長く心配をかけた父親への追悼の念が込められていたからなのでしょう。前景で馬にまたがった少年は、もしかすると少年時代のカンスタブル本人なのかもしれません。銀色に輝く雲は画家の思いとともに、どこまでも広がっていくようです。
★★★★★★★
ロンドン、 テート・ギャラリー蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎週刊美術館 34― ターナー/コンスタブル
小学館 (2000-10-10発行)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 (1996-05出版)