ヴェネツィアの光と水の光景を、アントニオ・カナレット(1720-80年)は殆ど写真かと見まがうほどの細密さで描きました。それが、カナレットという画家の生涯の仕事だったと言ってもいいかもしれません。彼の作品の輝きと華麗さは新しい現実感覚に基づいたリアリズムであり、画家の知性を強く感じさせるものでした。
カナレットは、光に照らされたさまざまな対象が、材質や距離に応じて人間の目にどのように映るかを、鋭敏に客観的にとらえることのできる画家でした。視覚的な対象に対する興味の抜きん出たカナレットは、晴れやかな都市・ヴェネツィアを、ある意味では写真以上に高画質に描くために生まれたのかもしれません。それゆえに、都市国家が衰退し、ヴェネツィアの栄華や力が過去のものとなりつつあることすら、人々に感じさせることはなかったのです。
180×259㎝のこの大画面は、1726年、フランス大使ジャック・ヴァンサン・ランゲがヴェネツィアを訪れた際の、沸き立つような瞬間です。大使は、ヴェネツィアの権力の中心、パラッツォ・ドゥカーレの正面にあるサン・マルコ運河に、政府のゴンドラに乗って到着したしたところなのです。パラッツォ・ドゥカーレは、共和国の総督邸兼政庁でした。
カナレットは、そんな歴史的な場面を、彼なりの想像や工夫を逸話風に交えて描いています。それは、画家の好んだ作風でもありました。
暗い空を背景にしたパラッツォ・ドゥカーレのバルコニーでは、人々が乗り出すようにして華麗な到着を見物しています。運河べりで吠えたてる犬、大使の到着とは関わりなく立ち働く人々など、この場の喧噪が想像以上であることが伺えます。一般の庶民の、そんな生き生きとした描写は、カナレットの感受性のなせるわざなのでしょう。
しかし、カナレットは飽くまでも、作品のテーマとなる場所を綿密に研究する画家です。一日中、何度も同じ場所を描き、光の微妙な違いを観察したといいます。この瞬間、この暗い雲と晴れやかなバラ色の雲が同居した空は、決して偶然の産物ではなかったのかもしれません。
さらに、画面の中心あたりに、印象的な柱が2本立っています。小広場に立つこの柱の手前には、有翼のライオンが描かれています。これは、福音書記者マルコの象徴です。そして、後ろの柱には、うヴェネツィアの守護聖人・テオドルスの像が載っているのです。こんな細やかな部分も正確に描きながら、単なる名所絵に堕さない煌めきと躍動感が、カナレットらしさなのかもしれません。
★★★★★★★
サンクトペテルブルグ、 エルミタージュ美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋名画の読み方〈1〉
パトリック・デ・リンク著、神原正明監修、内藤憲吾訳 (大阪)創元社 (2007-06-10出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社 1989/06出版 (1989-06出版)