黒くつややかな瞳が生き生きと輝き、今にも動き出しそうな生命感にあふれ、画面のこちら側を見つめるのはフローラ…..。古代イタリアの、花と春と豊穣の女神です。品が良く、ちょっとコケティッシュで繊細な画風は、イタリアの女流画家カリエーラならではのみずみずしさ、透明感にあふれています。こんなに美しいフローラが突然目の前に現れたら、西風ゼフュロスならずとも、花園の一つや二つはプレゼントしたくなってしまうに違いありません。
18世紀の人々にとって、演劇は大きな娯楽の一つでした。そして、画家たちはしばしば舞台装飾も手掛け、演劇からインスピレーションを受けた作品を描くことも多かったといいます。実際、ロココを代表する画家ヴァトーやブーシェも、演劇によって新しいジャンルの着想を得ているのです。肖像画を描くときもまた、モデルに舞台の登場人物の扮装をさせたり、神話の女神に仮装させて描くことも多く、それが18世紀女性肖像画の一典型でもありました。この作品も、そんな流れから生み出された美しいく魅力的な、当時の雰囲気を華やかに伝える一作と言えそうです。
作者ロザルバ・ジョヴァンナ・カリエーラ(1675-1758)はイタリア出身の、当時にあって最も著名な女流画家の一人でした。彼女を語るうえに特筆すべきは、パステルによる肖像画家としてヨーロッパの主要都市で大きな成功をおさめたことが挙げられるでしょう。殊に、重厚で緻密な油彩に比べ、軽快で親密で、細やかな表現を可能にするパステルは、18世紀フランスで好まれました。明るい色調、やわらかく生き生きとした仕上がりは、確かに、今その時を生きる人々を描く肖像画には、ぴったりだったと言えるでしょう。殊に、女性の時代とも言われるロココの上層市民階級の要望には、最もかなうものだったかも知れません。カリエーラは、ローマはもちろんフランスの美術アカデミーの会員でもありましたから、彼女の1721~22年のパリ訪問は、まさに王侯の巡幸と見まがうほどの豪華なものだったといいます。
しかし、カリエーラの、フランスにもたらした最も大きな贈り物は、もしかしたら、モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールをパステル画へと転向させたことにあるのではないでしょうか。『ポンパドゥール侯爵夫人の肖像』などで著名なラ・トゥールの、モデルの性格までも表現し得る肖像画家としての才能は、まさしくパステルの技法によって、みごとに花開いたと言って間違いないことでしょう。カリエーラの功績は、その美しい作品だけにとどまらなかったのです。彼女に学んだパステル画家たちはヨーロッパ各地で活躍し、やがてその流れは、ミレー、ドガ、ルノワール、ルドン、マティス、イギリスならホイッスラー、アメリカならメアリ・カサット…..といった画家たちにまで受け継がれていくことになります。
「生涯をパステルに献げた」と言われるカリエーラですが、その画風は飽くまで繊細で自然で、奇をてらうことのない品の良さで貫かれています。透明で清らかな色彩で描かれた人物たちは、美しいけれど皆どこか哀しげでもあり、決して単純でない人間の内面を見とおすカリエーラの確かな眼が、画面を通して優しく温かく私たちにも伝わってくるようです。
★★★★★★★
フィレンツェ、 ウフィッツィ美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎名画への旅〈第15巻〉/18世紀〈1〉逸楽のロココ
大野芳材・伊藤已令・下浜晶子・越川倫明著、鈴木杜幾子・森田義之編著 講談社 (1993-06-18出版)
◎西洋絵画の主題物話〈2〉神話編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-30出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)