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「ブージヴァルのウジェーヌ・マネと娘」

ベルト・モリゾ (1881年)

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 何と温かく、幸せな光景でしょうか。自分のひざに玩具をのせて無心に遊ぶ娘、それを見守りながら、父はじっと動かないように、その姿勢を保っています。夏の輝くばかりの光は二人に惜しみなく降り注ぎ、花も木々も世界のすべては夢の中の出来事のように大気に溶け入ってしまいそうです。

 この美しい作品を描いたのは、印象派を支えた重要な画家の一人、ベルト・モリゾ(1841-95年)でした。彼女は印象派グループの中でも最も説得力のある女性だったと言われています。それは、その美しい顔立ちから、師とも僚友ともいえるマネのモデルを多くつとめながら、家族や風景を繊細に描く、画家としての確かな目を持った女性でもあったからです。
 セーヌ河畔の村ブージヴァルには、1881年から84年にかけて、家族と夏を過ごすために訪れていました。そこで、夫や娘を愛情深く描いたのがこの作品なのです。
 モリゾにとってマネは非常に重要な人物でしたが、彼女が夫として選んだのはマネの弟ウジェーヌでした。二人の結婚生活がどのようなものであったかはわかりません。しかし、ベルトの制作活動に対する夫の理解と協力がとても大きなものであったことは伝わってきます。

 印象派画家たちの友人の一人、詩人のステファン・マラルメはモリゾを評して、
「この偉大な画家の特質は、一家の女主人であるにもかかわらず、俗なところが少しもないことだ」
と述べています。この言葉からも、モリゾがさりげない生活感覚を保ちつつ制作に専念できた様子、そしてたくさんの文化人から愛された様子がうかがえるのです。
 そんな平穏な毎日の中で、ベルトは最初の師コロー、そしてマネからの影響を少しずつ脱していきました。それは、大胆でのびやかで自由な筆触、心が解放されたような豊かな光の表現、そして繊細で柔らかい色彩感覚からも感じ取ることができます。当時の社会的制約から、画題がごく身近なものばかりだったことは否めませんが、だからこそ、成長していく娘の姿や優しい夫への視線はより深く、愛情に満ちたものとなったとも言えるような気がします。

 1895年の冬、ベルトはインフルエンザを患い、あっけなくこの世を去ってしまいます。印象派の父といわれたピサロはこれを悲しみ、息子のリュシアンにあてて、
「彼女は女性としての魅力にあふれ、われわれ印象派の仲間たちの名誉であった」
と書き送っています。そして、
「世間は彼女のことをほとんど知らないのに!」
と、怒りにも似た悲嘆を吐露してさえいるのです。
 ベルト・モリゾは、まだまだ女性画家が世の中に認められにくかった時代に咲いた、みごとな大輪の花だったのです。

★★★★★★★
パリ、 マルモッタン美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎印象派
       アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳  講談社 (1995-10-20出版)
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎印象派美術館
       島田紀夫監修  小学館 (2004-12出版)
  ◎西洋美術史
       高階秀爾監修  美術出版社 (2002-12-10出版)
  ◎西洋絵画史who’s who
       美術出版社 (1996-05出版)



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