ポンとひらけた空はあっけらかんと青く、白い雲がふんわりと浮かんでいます。そして、バルコニーのついた天窓は目もくらむほどのスピードで、その空まで突き抜けていきます。
しかし、古代彫刻を思わせるバルコニーの上からこちらへ顔をのぞかせる人々の表情のリアルさには、思わずドキッとさせられます。それは、見上げる私たちが彼らと視線を合わせてしまうという、なんとも不可思議な感覚のためなのかもしれません。これが、トロンプ・ルイユと言われるだまし絵の開口部であり、「夫妻の間」という8m四方の部屋の天井中央部に描かれた壁画であることを認識するには、やや時間がかかってしまいます。それほどまでに彼らや動物たちは生き生きと描かれ、プットーたちと人間が違和感なく共存する幸福な世界が表現されているのです。
ミラノ公国やヴェネツィア共和国のために働いた傭兵隊長であり、学問や芸術の優れたパトロンでもあったルドヴィコ・ゴンザーガは、1458年から65年にかけて、その居城カステッロ・ディ・サン・ジョルジョの改装に取り組みました。現在では、ここもパラッツォ・ドゥカーレに組み込まれていますが、この時期、「夫妻の間」の全面を壁画で覆うという計画が実行に移されました。その結果、この部屋は当時、「カメラ・ピクタ(絵の描かれた部屋)」と呼ばれ、後世にまで伝えられることになったのです。
この部屋全体の構図は、まさに注文主のゴンザーガ夫妻の栄光をうたいあげたものでした。ゴンザーガ家をローマ皇帝の後裔になぞらえ、当主ルドヴィコの偉業をたたえるものだったからです。側壁には、一族の人々とゴンザーガ家の廷臣たちが等身大の克明な描写で描き出され、それはまさに、ルドヴィコにとっての生きた家族肖像画というべきものでした。
その部屋の中央、天井に開けられた円形の開口部(オルクス)から、今まさに貴婦人や召使い、そしてプットーたちが顔を出し、部屋の中をのぞき込んでいるのです。これは、15世紀のトロンプ・ルイユ的なイリュージョニズムの最も早い作例であると言われ、16世紀天井画構想に大きな影響を与えたのです。
作者のアンドレア・マンテーニャ(1431-1506年)は、1460年にゴンザーガ家の宮廷画家としてマントヴァに招かれていますが、それ以後は、トスカーナ地方とローマに数回旅行した以外、この町を離れることはなかったのです。北イタリアにおけるルネサンス文化の普及において中心的役割を果たし、宗教画だけでなく世俗絵画の様式をも一新したと言われる巨匠マンテーニャの、マントヴァでの長期にわたる活動を代表する作品が、この「夫妻の間」の壁画装飾でした。彼はルドヴィコへの深い思いを込め、ゴンザーガ家の尽きることのない繁栄を願って、限りない青空にまで続く天井画を描いてしまったのではないでしょうか。
★★★★★★★
マントヴァ、 パラッツォ・ドゥカーレ、夫妻の間 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎ヒューマニズムの芸術
ケネス・クラーク著 白水社 (1987-02-10出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳 日本経済新聞社 (2001/02出版)