少しひんやりとして落ち着いた空気の流れる静寂の空間です。小鹿たちも心地よさそうに憩い、ここでは永遠が時を止めています。
この作品は、1855年のサロンで好評を博したものです。クールベの動物画には定評があり、森に棲むものたちの生態を正確にとらえていると言われていました。しかし、本当は、この風景は作られたものなのです。
クールベは1865年の冬、数頭の小鹿を借りて来て「かくれ場」をつくり、そこで、小鹿たちを驚かせないように用心しながらこの絵を制作したのだそうです。つまり、人工的に仕組まれた風景なわけですが、この自然な安らぎ、澄明な空気には魅了されます。
可愛らしい小鹿が本当に安心して脚を投げ出している様子には、こちらまでほっと、解放感に満たされてしまいます。そこには、本当に生を営むものの優雅さ、そしてそうなるための無心な美しさがあふれていて、彼らに共感を注ぐ画家の健康で澄んだ境地が感じられるのです。
考えてみれば、クールベほど誤解され続けた芸術家も珍しいかも知れません。1848年の「二月革命」への参加に始まって、第二帝政の反動的な美術当局を相手に孤立した戦い、またパリ・コミューンに際しては芸術家連合の会長として働きながら、ヴァンドーム広場円柱引き倒し事件の責めを負わされて投獄され、そして身の危険を感じてスイスに亡命・・・と、あまりにも波乱に富んだ人生でした。そのため、同時代のごく普通の人々から見れば、クールベは危険で野蛮な芸術家の典型だったと思われます。
100年たってもその誤解や中傷が消えることはなく、クールベのレアリスムは写真のように物を描いたものだとの定義が横行しています。
しかし、そこにはあまりにも誤解が多すぎます。クールベ自身、
「私はあらゆる存在に彼の自然な機能を認めている。私は石ころにさえ物を考えさせる」
と述べているように、彼は真にロマンティックな画家だったのです。
この作品からも、独自の感動、そこに生きたものが存在しているのだという感動をおぼえます。小鹿が息をして、そこに存在している・・・という本質的な現存感が見る者に伝わってくるのです。
クールベは、人であれ動物であれ、そこに無心で存在するものに自らも無心で近づき、その喜びを力強く、またやさしく表現することのできる、自然に対して繊細で謙虚な画家だったのだと思います。
★★★★★★★
パリ、ルーヴル美術館蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎絵画が偉大であった時代
阿部良雄著 小沢書店(1989-10-20出版)
◎新潮美術文庫 ク-ルベ
新潮社 (1975-09出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)