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「ヘロディアの娘の舞い」

 ベノッツォ・ディ・レーゼ・ゴッツォリ (1461-62年)

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 キリストの先駆者または使者とされ、旧約と新約をつなぐ役割を果たした洗礼者のヨハネは、このように不本意な場所でその生涯を閉じようとしていました。

 説教師であったヨハネは、荒野で禁欲生活を送りながら、深く罪を悔い改めたいと彼のもとにやって来る人々すべてに、ヨルダン川の水でバプテスマを施していたのです。ところがある時、ガリラヤ地方を治めていたユダヤ王ヘロデが、兄弟ピリポの妻ヘロディアを娶ったことを叱責したため、妻ヘロディアに説き伏せられたヘロデによって、獄につながれてしまったのです。ヘロデは当初、ヨハネをすぐに殺そうと思っていました。しかし、何よりも民衆を恐れました。人々がヨハネを預言者と信じていたからです。
 ところがヘロデの誕生日に、ヘロディアの娘サロメが皆の前で華麗な舞を披露し、ヘロデは有頂天になってしまいました。そして軽率にも、望むものなら何でもあげようと継娘に約束してしまいます。するとサロメは母ヘロディアにそそのかされ、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でいただきたい」と申し出たのです。それを聞いた王は、あまりにも意外な言葉にひるみました。しかし、客の手前もあり、それを与えるよう命じ、人を遣わして牢の中でヨハネの首をはねさせたのです。

 画面では、後に来るはずの打ち首の場面が宴会場面と一緒に描かれていますが、これはやや狭苦しい印象を伴うものとなっています。牢獄の庭で、剣を手にした刑吏を前にひざまずくヨハネは、向かって左端にギュッと押しやられ、ああ、もう少し画面が広かったら….と、なんとももどかしいような、落ち着かない気持ちになってしまいます。しかしこれも、群像を華麗に、一つの画面の中に装飾的に描き込むことを得意とした、フィレンツェ派の画家ゴッツォリ(1420-97)ならではの表現と言えるのでしょう。構図全体を見れば未成熟な遠近法で、いかにも古様をとどめたものなのですが、克明な描写、色彩の華麗さは甚だ魅力的で、見る者の心を奪います。

 画面中央で踊るサロメは、芸術家たちにたくさんのインスピレーションを与え続けている女性であり、古来、さまざまな描き方をされてきました。中世美術においては、逆立ちをしたり、曲芸を演じているサロメさえありますし、後代には裸体同然であったり、部分的に布をまとっただけの姿で描かれることもありました。しかしこのサロメは少女らしい可愛らしさを残し、裾の長い衣装で、どちらかといえば楽しそうに踊っています。それを見守る人々の表情もとりたてて緊迫した様子ではなく、その背後で、すでにヨハネの首の載った皿を手にしたヘロディアも、まるで侍女からケーキを受け取っているかのような穏やかさです。宮廷内部にしては狭く、簡素な部屋の様子も、世俗的な作風のゴッツォリの興味が、ここでは贅沢な表現にはなかったことを感じさせます。

 劇的にも凄惨にも、どのようにでも描くことのできるテーマを、敢えてこれだけ美しく温かい画面に仕上げたゴッツォリは、フラ・アンジェリコの工房で活躍したことから、師の追随者と見なされていました。しかし彼は、パトロンの要望もあったためか、フラ・アンジェリコよりも、もっと庶民にとって親しみやすい画風を確立し、伸び伸びと制作していたように見えます。初期には金銀細工師として徒弟生活を送ったゴッツォリの中にある装飾的な才能が、画家のやさしい性格とも相俟って、このように愛らしいサロメを描かせたのではないでしょうか。

★★★★★★★
ワシントン、 ナショナルギャラリー 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎新約聖書を知っていますか
        阿刀田高著  新潮社 (1996-12-01出版)
  ◎聖書のなかの女性たち
        遠藤周作著  すえもりブックス (1999-12-15出版)
  ◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-03-05出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)



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