サン・ロマーノは、フィレンツェ近くの小さな村の名前です。ここで、1432年6月1日、ニッコロ・ダ・トレンティーノ率いるフィレンツェ軍は、ベルナルディーノ・デッラ・チャルダ率いるシエナ軍と一戦を交えました。この場面は、シエナ軍の将軍ベルナルディーノがフィレンツェ軍から突き出された槍の一撃で、まさに画面のこちら側に向かって落馬する瞬間です。これが、フィレンツェ軍が勝利へと突き進む決定的瞬間でした。
後ろ脚を跳ね上げたり、立ち上がったりしている馬たちが、真横から、また後ろからも躊躇なく描かれていることに、この画面の面白さとウッチェロ(1397-1475)の独創的な着眼点を見ることができます。いかにも劇的で、ドラマに満ちた場面ですが、どこか静止画のようでもあり、人と動物たちの色、その動作や姿勢が、中央のシエナの将軍を中心に対称をなし、ウッチェロの絵画世界を浮かび上がらせます。そして、美しく配置された槍の線が画面を引き締め、地面に倒れた兵士と馬が短縮法で描かれて、みごとに空間の奥行き感を強調しているのです。まさにここに、数学的遠近法を駆使したウッチェロの真骨頂を見てとることが出来ます。画家は、フィレンツェの新しい美術理論、構図についての新しい考え方を明瞭に示そうとしたのだと言えるでしょう。
この作品は、そもそもパラッツォ・メディチの完成を記念して、コジモ・イル・ヴェッキオ、あるいはピエロ・イル・ゴットーゾが注文したものと言われ、三枚の板絵から成るものでした。この作品は、そのうちの2番目で、唯一ウッチェロの署名が入っています。18世紀後半までは、ラルガ通りにあるメディチ家本邸のロレンツォ・イル・マニフィーコの部屋に置かれていましたが、19世紀半ばになって国外に流出してしまいました。現在では、1番目の作品『フィレンツェ軍を指揮するニッコロ・ダ・トレンティーノ』はロンドンのナショナル・ギャラリーに、そして3番目の作品『ミケレット・ダ・コティニョーラの援軍』はパリのルーヴル美術館に所蔵され、それぞれの国で、たくさんの人々の目を楽しませているのです。
ところで、フィレンツェがシエナを破った有名な戦いを描いたこの作品は、信仰心を示す宗教画が圧倒的に多かった当時においては画期的だったかも知れません。しかし、そこには、当時の人文主義的な雰囲気が大きく影響していたようです。人文主義とは、人間肯定の思想、教会を中心とした世界観から解き放たれた新しく普遍的な思想を意味します。そして、このような作品は、言うなれば国の威信を表現した絵画です。美術の注文主たちも、自分たちに最も相応しい画題として、歴史画を好むようにようになっており、ウッチェロは、そのあたりの時代の要求にも、みごとに応えた画家だったのです。
また、ウッチェロのみごとさ、新しさは、美術史上、構図の概念が最も急激な展開をもたらした時代に、理論的に絵画を描くことに徹底的にこだわり、幾何学や遠近法を用いた空間表現の可能性を追求し、その天才的な装飾感覚によって単なる写実を超えた画境を拓いたことでしょう。そして、金をはじめとした高価な色が使われていないことも、材料に頼らない知的な構成力を持ったウッチェロの、揺るぎない自信を感じさせてくれるのです。
★★★★★★★
フィレンツェ、 ウフィッツィ美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎ 小鳥の肉体―画家ウッチェルロの架空の伝記
ジャン‐フィリップ・アントワーヌ著 白水社 (1995-10-25出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)