大きく開かれた空を背景にした、たいへん豪華な聖会話の図です。
キプロス島司教のヤコポ・ペーザロによって注文された大祭壇画で、彼が1502年に教皇国とヴェネツィアの連合艦隊の司令官としてサンタ・マウラ(キプロス)の対トルコ海戦で戦功をあげたことを記念して、ティツィアーノに注文したものと言われています。サンタ・マウラの戦勝を喚起しながら、玉座の聖母子を中心に、ペーザロ家の一族全員を寄進者として登場させるという….いろいろな意味で、ちょっと溜め息をつきたくなるような作品です。
左側にひざまずき合掌するのが、司教服姿のヤコポ・ペーザロその人です。そして、その背後にはボルジア家(アレクサンドル6世)の紋章とペーザロ家の小さな紋章を付けた勝利の旗を掲げる騎士と、捕虜のトルコ人の姿が見てとれます。また、右側にひざまずくのは、左からヤコポの従兄弟ベネデット、ヴィットリオ、アントニオ、ファンティーノ、ジョヴァンニであると言われ、まさしくペーザロ一族の集結…という感じです。
そして、玉座で元気よく足をバタつかせる幼いイエスと、少しそれをもてあます様子で上半身を大きく左へ傾けた聖母の下には、右側に聖堂の守護聖者の聖フランチェスコと聖アントニウスが立ち、左側にローマ教会の象徴聖ペテロが座っています。
この大作で、ティツィアーノは、ヴェネツィアの伝統的な祭壇画形式であるシンメトリックな「聖会話」構図を、ダイナミックな対角線構図に変え、開放的で対話性に富んだ画面を構築しています。モニュメンタルな空間構成と雄弁な劇的演出力に傑出した、彼ならではの世界をみごとに示してくれているのです。
ところで、ティツィアーノの作品が、豊かな色彩に満ちた、喜びと健康的な生命感にあふれたものであることは異論のないところなのですが、彼自身の人生もまた、比類なく幸運なものであったと言われています。ルネサンスの芸術家のうちで、ティツィアーノほど、芸術家が手にし得るあらゆる成功と幸福を手に入れたひとも珍しく、画家としての不動の地位、イタリア中の君主や貴族、教皇、ヨーロッパ中の皇帝や国王から受けた愛顧と名声、莫大な収入と特権、財産、貴族の称号、恵まれた容姿と長寿、そして何よりも多くの家族、弟子、友人に囲まれた、欠けるものの何一つない華麗な人生だったのです。もし、彼と比べ得る芸術家がいたとすれば、それは後の最大の芸術家と言われるルーベンスくらいであったろうと思われるのです。
しかし、ティツィアーノの幸運と名声は、決して実力からもたらされるものだけではなかったという、皮肉をこめた指摘もあります。それは、ティツィアーノ自身が、その強い自己主張と政治的才覚と野心と行動力で、ライバルに打ち勝ち、そして新しいパトロンを次々に、これでもか…というほどに獲得し続けながら、自らの手で築いていったものだったからなのです。マキャベリの言を用いれば、「才能=力量」によって「幸運」を獲得していく生涯だったと言ってよいでしょう。
この『ペーザロ家の祭壇画』においても、パトロンであるペーザロの一族と、ローマ教会(聖母子と聖ペテロと教皇アレクサンドル6世の紋章の軍旗)と、フランチェスコ修道会(聖フランチェスコと聖アントニウス)の三者の関係を、劇的空間のなかに組み込みながら称える…という、パトロンの政治的意図をみごとに汲み取って表現するなど、いかにもソツがなく、その演出力には感嘆するばかりなのです。
★★★★★★★
ヴェネツィア、 サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ聖堂蔵