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「ホワイト・ガール : 白のシンフォニーNo.2」

ジェームス・ホイッスラー (1862年)

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 どこか少女漫画の主人公のような面差しの、まさしく白い女性がすっくと立っています。 しかし、彼女の眼差しは、大きく見開かれた瞳とはうらはらに、自らの奥へ奥へと深く沈潜していくようです。
 批評家J・カスタニャリーは1863年8月15日付の『アルティスト』誌で、次のように述べています。
「この作品が力作である所以がまさか白のうえに白で描いたところにあるとでも言うのか?遺憾ながら、私にはそんなことは到底信じられない。花嫁の目覚めというべきもっとも重要なテーマ、つまり若い娘が自らを省み、もはや昨日のような処女でないことに驚いている混乱した瞬間をこの作品にみとめたとしても、どうかお許し願いたい」。

 ゆったりとした白麻のモーニング・ガウンを着て、髪を無造作に肩に垂らした彼女の姿は、たしかにカスタニャリーの指摘が的を射ていることを感じさせます。そして、彼女が左手に持っているのはしおれた白百合の花であり、また、足元の獣性を示すかと思われる熊の敷皮のうえには、「若々しい無垢さ」を表す白いライラックと、「物思い」を示す三色すみれの花が落ちているという念の入れようなのです。
 しかし、当のホイッスラーは、
「私の絵は単に白いカーテンの前で白いドレスを着て立っている娘を描いたにすぎない」
と、人々の憶測したがる物語性を拒否するかのように、強く述べています。
 これには、ちょっと事情があります。最初、この『ホワイト・ガール』は1862年4月のロイヤル・アカデミー展に出品しましたが落選の憂き目に遭い、そのため、6月に、開設されたばかりのモーガンズ・ギャラリーではじめて展示されたとき、『白衣の女』というタイトルで展示されました。ところがこれは、当時人気のあったW・コリンズの小説『白衣の女』と同じ題名だったため、誰もがホイッスラーの絵の女性を話題の小説のヒロインだと思ってしまったのです。そのため、『アシニーアム』誌がこの作品を評して、
「顔はみごとに描かれているが、W・コリンズの『白衣の女』の顔ではない」
と書き立てました。これを見たホイッスラーが同誌に投書し、先に述べたように
「白いカーテンの前で白いドレスを着て立っている娘を描いただけ」
と主張したわけなのです。

 そんないきさつもあり、この『ホワイト・ガール』はある種、センセーショナルな作品となってしまったわけですが、ホイッスラーの友人であるファンタン・ラトゥールは、彼に次のように伝えています。
「クールベはあなたの絵を心霊術めいた幽霊と呼びました。どうもそのへんが気に入らなかったようです。でもボードレールの目には、絶妙な繊細さをもった魅力的な作品とうつったようです。A・ルグロもマネもブラックモンも、ド・バルロワも私も皆、みごとな作品だったと感服しました」。
 この評を、世間をどこか冷笑的に見ているホイッスラーがどう感じたのかはわかりませんが、ともかくこの『ホワイト・ガール』は彼にとって、単一の色彩である白を基調とした、最初の試みの作品でした。そしてこの時はまだ、彼じしんも認めているとおり、白いのはカーテンでありドレスであって、絵そのものがかなでる白ではなかったのです。

★★★★★★★
ワシントンDC、 ナショナル・ギャラリー蔵



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