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「ポンパドゥール夫人」

フランソワ・ブーシェ (1756年)

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 本を片手にゆったりとくつろぐ婦人は、有名なジャンヌ=アントワネット・ポワソン….ポンパドゥール夫人です。 1745年からルイ15世の愛妾となり、その寵を一身に集め、43年に満たない生涯を華やかに、生き生きと生きた女性でした。

 この作品は、フランス・ロココを代表する画家ブーシェが、35歳の時の輝くばかりに美しい侯爵夫人を描いた、私たちにもお馴染みの大作です。肖像画としては非常に大きなもので、201×157cmと圧倒的ですが、圧倒されるのはその大きさのせいばかりではありません。ポンパドゥール夫人の庇護のもと、絵画だけでなく王家の建造物の装飾や陶磁器の製作、タピストリーの制作事業にも幅広く関わっていた、脂ののり切ったブーシェがこの上なく華麗に、豪華に、そして余分なものを全て跳ね返してしまいそうな溌剌さをもって、侯爵夫人を描いたのです。自らの持つ技量のすべてを、画家はポンパドゥール夫人像に投入したことでしょう。

 ブーシェは、夫人のお気に入りの画家でした。薔薇で飾られた髪、ドレス、そしてその薔薇以上に瑞々しい頬をしたポンパドゥール夫人の、なんと美しいことでしょうか。その生命感、画面のこちら側にまであふれ出てくる幸福感に、鑑賞者たちはふと、実際に薔薇の香りを嗅いだような錯覚に陥ります。侯爵夫人が少し動くたびに起こる衣ずれの音、そのドレスの質感までも、私たちは手にとるように感じることができます。いつも未来を見つめているような大きな瞳、しっかり引き結んだ唇からも、この女性の積極的で明るく、人の心をとらえて離さない魅力を感じとることができます。夫人のもっとも身近にいた画家ブーシェの、渾身の一作と言えると思います。

 フランス・バロックの象徴でもあった太陽王ルイ14世が没し、そのあとを継いだ曽孫のルイ15世は、即位当時わずか5歳でした。そのため、ルイ14世の甥にあたるオルレアン公フィリップが8年間、摂政となります。そもそも、このオルレアン公が享楽的な人物であったこともあり、この時期、荘重なバロック精神は、一気に軽快でちょっと軽薄なロココ精神へと転換していったのです。ロココとは、本来装飾様式を指す言葉であったわけですから、ここにまさに市民階級のファッション、インテリア、食器など、生活の中の生きた「美」が、「用」とあいまって開花し、発展した時代でもありました。

 そんな時代、ブーシェは装飾図案家の父に絵画の手ほどきを受けました。そして輝かしい業績を残したのち、34歳の若さでアカデミーの教授に就任し、ヴェルサイユ宮王妃の間、小広間、大蔵卿庁舎、王の居室の装飾画を担当して一挙に流行画家となりました。ブーシェの作品は、まさにロココ趣味そのものと言っていいかも知れません。少々装飾過剰の傾向があるのも、当時の華やかな好みに合致していました。
そして更に言うなら、ロココの幕開けを告げた画家ヴァトーの持つ抒情性といったものも、ブーシェの作品からは伝わりません。ただひたすらの華やぎ、女性たちの笑い声、そしてしなやかな曲線、軽やかな動き、色彩が見る者を楽しませます。ブーシェの多彩で精力的な活動は、ロココの装飾様式の発展に真に大きく貢献したと言えるのです。

 ブーシェの描いたポンパドゥール夫人は、もしかするとやや理想的に描かれているのかも知れません。この8年後に亡くなったことを思うと、少し病弱な面を持った女性だったことも考えられます。しかし、画家は心を込めて、この、この上ない芸術庇護者である夫人を健康的に描いています。そして、夫人が手にした書物、背後の鏡に映る書架に詰め込まれた書籍の類に、侯爵夫人の文芸愛好家としての知性をも表現しようとしたようです。

★★★★★★★
ミュンヘン、 アルテ・ピナコテーク 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎フランスの歴史をつくった女たち〈第5巻〉
        ギー・ブルトン著、田代 葆訳  中央公論社 (1994-08-15出版)
  ◎女のエピソード
        渋沢龍彦著  ダイワアート (1989-03-25出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)
 



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