いつも穏やかな画風のシスレーらしい、のどかな水辺の風景に見えます。美しい青の色遣いも印象的です。
しかし、よくよく注意して見ると、これが洪水の後の情景であることに気づきます。しかし、まあ、なんと長閑な洪水風景でしょう。穏健な人柄の画家、シスレーならではの画面ではあります。
1875年、シスレーはルーヴシエンヌからほど近いマルリー・ル・ロワに引っ越しをしました。ところが、翌年の3月、春の雪解けで増水した上流の水がセーヌ川に一斉に集まり、洪水を起こしてしまったのです。これは、雑誌に挿し絵入りで紹介されたほど有名な災害だったのです。
多くの人がこの自然災害に直面し、大変な労苦を強いられたに違いありません。シスレー自身も、この絵を描くには、船に乗るか水の中に立った状態である必要がありました。 しかし、画面からは人々の混乱の様子が伝わってきません。むしろ、のんびりと穏やかです。まるで、魚釣りでもしているような風情です。シスレーは、こうした災害のさなかでも、洪水によって生まれた珍しい風景を感情を混じえず、淡々と描写しているのです。画家の目には、非日常もまた人々の生活の1コマだったに違いありません。
アルフレッド・シスレー(1839-1899年)は、ある意味、個性を隠して、自然そのものを前面に出すことに心を注いだ画家でした。彼の画面には、いつも雲が悠然と渡り、木々がさざめき、光がきらめいていました。まさしく、典型的な印象派の画家だったのです。
彼は、カンヴァスにほとんど下絵を描かず、直接絵の具を置いて描きました。自然光のもとで、目に映ったままの景色を描くことは印象派の理念でしたし、それはシスレーの求めた画境にぴったりの理想だったのです。印象派のメンバーたちが、それぞれ独自の道を歩むようになっても、シスレーだけは迷うことなく目の前の自然を、柔らかな光の中に描き続けました。
シスレーは、ポール・マルリーの洪水の情景を、計6点制作しています。その中でも、この作品は60×81cmと最も大きく、詩情豊かなシスレー作品の中でも印象深いものとなっています。
流れていく雲、船で移動する人々、そしてあたり一面を浸した水には繊細に光が当たり、その微妙なニュアンスはモネのものとはまた違う優しさを伝えます。穏やかな色彩、抑揚を感じさせる筆触も、画家の人柄を静かに物語るようです。
この作品は、シスレーの生前には180フランで売買されましたが、彼の死の翌年に開催されたオークションでは、4万3000フランという高値で落札されています。
★★★★★★★
パリ、 オルセー美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派
アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳 講談社 (1995-10-20出版)
◎印象派美術館
島田紀夫著 小学館 (2004-12出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 (1996-05出版)