なんと平明で明るく、祝福に満ちた画面でしょうか。何者にも侵されることのない信仰の喜びが、すみずみにまで広がり、私たちの心もやさしく温かく満たされていきます。
この作品は、ポール・ロワイヤルの修道女であった画家自身の娘カトリーヌの病が、修道女たちの祈りによって奇跡的に回復したことを記念する奉納画なのです。カトリーヌは重病で、思わしい状況ではなかったようですが、修道院の全員が9日間の祈祷を行い、カトリーヌは健康を取り戻したのです。
病人のそばで祈っているのは院長のアニエス・アルノー尼であり、この場面はちょうど完治が近いという啓示を受けた瞬間と言われています。ですから、ああ、それで….と、二人の表情の明るさの訳も納得できるのです。
神のみ言葉は、このように静かで清らかな場面にこそふさわしいのかも知れません。ポール・ロワイヤル修道院は、17世紀の、世俗的なイエズス会を厳しく批判した神学思想運動「ヤンセニスム」の中心となった場所でした。ヤンセニスムはオランダの神学者ヤンセンによって説かれ、「無償の救霊予定」という思想をもとに、厳格な生活を旨としたものです。木の十字架と質素な寝台や椅子、砂色の何の飾りもない壁に、修道女たちの簡素な暮らしを見てとることができます。二人の胸に差し込む光は、そんな修道女たちへの、何よりの神の恩寵なのです。しかし、この修道院は、ルイ14世の弾圧を受け、この作品の47年後、建物は殆ど取り壊されてしまったといいます。
フィリップ・ド・シャンパーニュ(1602-74)は、フランドル生まれの画家でしたが、19歳のときに師のジャック・フキエールとともにパリへ赴き、間もなく当時の最も著名な肖像画家となりました。彼は、フランス古典主義の画家として修業を積みましたが、生涯にわたってプッサンと親交があり、結婚に伴って29年にはフランスに帰化しています。初めは、ルイ13世の母后マリー・ド・メディシスの宮廷画家となりましたが、ルイ13世の没後は、宮廷やパリ市民の肖像画家として活躍し、名声を得ました。そして一方、こうした宗教画家としての活動にも力を注いだのです。
この作品は、奉納画でありながら、おそらく肖像画でもあったのでしょう。修道院長のアルノー尼が、こうした風貌の女性だったのだと思うと、とても不思議な気持ちになります。厳格なヤンセニスムの牙城たるポール・ロワイヤルで、清貧・純潔・悔悟・厳粛を信条をとして隠者のような生活を送る精神的指導者が、このように穏やかで、どこかとても自由で、今にも羽根をつけて飛んで行ってしまいそうな表情をもっていたのだということに、心打たれるのです。
そこには、17世紀半ばのフランス美術に見られた古典主義の厳格さと、一筋の光に喜びを見いだす敬虔な信仰者たる画家の精神が一つになった、この上なく崇高な絵画世界が実現されているのです。
★★★★★★★
パリ、 ルーヴル美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)