天蓋の下に集う大勢の人々は、天使やシエナの守護者をはじめとする聖人たちです。人々は人間的な肉体を持って描き出され、それぞれに個性的な引き締まった表情を見せ、こちらに何事か語りかけてきます。そして中央に堂々と座した聖母はあくまでも人類の救い主の母としての威厳を保ち、幼子イエスはふっくらとした頬とクルクルっとした巻き毛を持つ賢い表情の男の子です。2人の存在はこの場をみごとに制し、763×970㎝の均整のとれた美しいフレスコ画となっています。
タイトルの「マエスタ」とはイタリア語で「荘厳」と訳されます。幼子イエスを抱き、多くの聖人に囲まれた聖母マリアが大きな玉座についた図像をさしたものです。中世以来、多くの画家によって描かれてきました。殊に聖母マリアを都市の守護者として崇めたシエナでは、好まれた主題だったのです。
これより時代が下ると、聖母はもっと優しい慈愛に満ちた表情で描かれるようにもなりますが、ここではまだ凛とした聖母となっています。それは幼子の持つ紙片に、「汝、地を治める者よ、正義を愛せ」と記されていることから、正義の擁護者としての役割をこそ意識しているからかもしれません。この作品のあるパラッツォ・プッブリコがシエナの政治を司る市庁舎であり、その一室を飾るにふさわしい作品を描くことが画家の使命であったと考えられます。
シモネ・マルティーニ(1284年頃 – 1344年)はゴシック期のイタリア、シエナ派を代表する画家です。有名な「受胎告知」をはじめ、優雅で洗練された聖母像で知られます。シエナは15世紀には衰退したものの、14世紀当時はルネサンスのフィレンツェと並ぶ、美術の中心地でした。画家はナポリやアッシジでも制作し、1340年頃にはイタリアを離れて当時教皇庁のあった南フランスのアヴィニョンへ移り、教皇庁宮殿などの仕事などもこなしました。彼のフランスの画家たちに与えた影響は大きなものだったと言われています。
この作品においても、人物が現実的な3次元空間に存在するように表現されていることはシモネ・マルティーニの持つ新しさでした。それ以前の画家には平板でゴシック期特有の硬さがあり、絵画はあくまでも2次元の物語だったのです。シモネ・マルティーニは作品に生き生きとした息吹と立体感を与え、登場人物たちを画面のこちら側に引き出した最初の画家の1人だったのです。
★★★★★★★
シエナ パラッツォ・プッブリコ 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎キリスト教美術図典
柳宗玄・中森義宗編 吉川弘文館 (1990-09-01出版)
◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-03-05出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ、宮下規久朗編 日本経済新聞社 (2001-02出版)
◎不朽の名画を読み解く
宮下規久朗著 ナツメ社 (2010-7-21出版)