ちらりとこちらを見た表情の、なんと蠱惑的なこと….。彼女は聖書でお馴染みのマグダラのマリア…娼婦にまで身を落としながら、キリストの弟子となって罪を深く悔い、主の昇天後はマルセーユで伝道につとめたと言われる女性なのです。
彼女は、中世以降のキリスト教美術の中でも、懺悔の図像の代表格とされてきました。多くの場合は世の虚栄を捨て、悔悟者として質素なマントを羽織っただけの姿で…または、長い髪で身体を覆っただけの裸同然の姿で描かれることも多い聖女です。
しかし、クリヴェリの描くマグダラのマリアはまったく違います。これは、改宗前の、「俗愛型」の女性としてのマグダラのマリアなのです。娼婦として、その美貌で多くの男を惑わせた彼女の美しさは、少し背筋が寒くなるほどの自信と迫力に満ちて、この豪華な画面のなかに端然とその存在を主張しているのです。
それにしても、華麗にして典雅。なんと装飾的で美しいマリア・マグダレーナでしょうか。一見シンプルなのですが、よく見たとき、金茶を基調とした衣装の繊細な表現のみごとさに、ほぅ..と溜息をついてしまいそうです。そして、画面の半分を占める燃えるような赤いマントが、一見冷たく見える彼女の視線とよく呼応して、ただならぬ情感が見る者に迫ってくるのです。
カルロ・クリヴェリは15世紀ヴェネツィア派の、非常に特異な個性を持った画家として人気があります。画風には多分にゴシック的な要素を残しながら、金属的で硬質な印象を与えるくっきりとした線や肉付け、やや過剰で病的なほどの豪華絢爛な装飾性が特徴的です。ビザンティン風の金地背景をもつ多翼祭壇画を多く手がけ、「多翼祭壇画の詩人」と謳われましたが、反面、人妻を誘拐したかどで有罪となり、各地を放浪するなど、中部イタリアのマルケ地方に落ち着くまで、波乱の多い人生を送った人でもありました。
この『モンテフィオーレ祭壇画』は、元来はモンテフィオーレ・デル・アーゾのサン・フランチェスコ聖堂のために制作されたものでしたが、19世紀に分断され、現在では頂部にあったパネルの3点なども各地に分散されてしまっています。
これから先、イエスに出会って回心し、悔い改めの生活に入るはずのマグダラのマリア….。でも、このクリヴェリの描く聖女は、なにやらイエスをさえも惑わすのではないかと思うほどの不思議な吸引力と魅力に満ちているのです。
★★★★★★★
モンテフィオーレ・デル・アーゾ、 サンタ・ルチア聖堂 蔵