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「マシンの道、ルーヴシエンヌ」

 アルフレッド・シスレー (1873年)

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 なんて気持ちのよい風景でしょう。思わず深呼吸したくなります。心地よい風が吹き渡り、明るい陽光が満ち、世界のすべてが美しく、ただ見ているだけで幸せになります。
 印象派の父と言われたピサロは、典型的な印象派の画家が誰かと問われたとき、迷うことなくシスレーの名を挙げたといいます。それほどにシスレーは、ひたすら自然を描き続けた画家だったのです。

 アルフレッド・シスレー(1839-1899年)は、実業家の父と上流階級出身の母との間に生まれ、裕福な家庭に育ちました。ロンドン留学中に美術に目覚め、家業は継がずに画家を目指す決心をします。そして、反対する親を説き伏せて入ったシャルル・グレールのアトリエでモネやルノワール、バジールらと出会うのです。もともとカンスタブルやターナーなどの風景画に惹かれていたシスレーは、彼らの戸外での制作や伝統にとらわれない技法に魅せられ、自らも実践するようになるのです。
 シスレーは初め、父親から十分な援助を得ることができたため、貧しい印象派の仲間たちを経済的に援助することも多かったといいます。ルノワールを自分のアパートに同居させていたこともあり、慎ましく穏やかで上品なシスレーに、ルノワールは非常に好感を抱いていたようです。しかし、花屋の店員だったマリー・ルイーズとの間に子どもをもうけたことで父親の逆鱗に触れ、経済的な援助を打ち切られてしまいます。そのため彼は人生で初めて、絵を描くことで収入を得ていかなければならない立場となってしまうのです。

 シスレーの穏やかな人柄そのままの柔らかな光に満たされた優しい風景画は、他の印象派の画家たちに比べても、見る者に強いインパクトを与えることが少なかったのかもしれません。彼は生前のうちに、経済的な苦境を脱することはできませんでした。シスレーの才能を認め、その作品を称賛する画商やコレクターも多かったのですが、控えめなシスレーは自らを強く売り込むこともなく、ありのままの自然を抒情豊かに描くことにのみ情熱を注ぎ続けたのです。
 そんなシスレーの作品に、困窮や苦しみは感じられません。この馴染み深い田舎町ルーヴシエンヌの風景も、光と陰の穏やかなコントラストが見る者の心を優しく包みます。手入れの行き届いた樹木がまっすぐに並び、道は地平線の彼方まで続いています。画面の奥行きと広がりはシスレー独特の表現であり、向かって右から射す陽光の美しさにシスレーの慎ましやかなメッセージが込められているようです。

★★★★★★★
パリ、 オルセー美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎印象派
       アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳  講談社 (1995-10-20出版)
  ◎印象派美術館
       島田紀夫著  小学館 (2004-12出版)
  ◎西洋美術史
       高階秀爾監修  美術出版社 (2002-12-10出版)
  ◎西洋絵画史who’s who
       美術出版社 (1996-05出版)



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