がっくりと腕を垂れた若い男は、生気の失せた青白さで、すでに黄泉の国へ旅立っているようです。
光の効果で古典彫刻のように描き出された男は、十字架から降ろされたキリストさながら、胸の傷も聖痕のように見えます。画家は、友人の死を、人類の罪を背負って十字架に架けられたイエスと重ね合わせたのかもしれません。
ジャン=ポール・マラーは、フランス革命の指導者として知られています。新聞「人民の友」を発行し、過激な政府攻撃をすることで下層民から絶大な支持を受けていました。立法機関である国民公会の議員に選出されてからは、議会を主導していた上流ブルジョワ階級からなるジロンド派を攻撃し、パリ民衆を蜂起させて、ついにジロンド派を国民公会から追放するに至ったのです。
ところが、そのころ、マラーは持病である皮膚病が悪化し始めていました。活動が困難になった彼は自宅にこもり、一日じゅう入浴して療養しながら執務していたといいます。
そんなとき、貴族出身でジロンド派の擁護者だったシャルロット・コルデーが面会に訪れ、隠し持っていたナイフでマラーの心臓を刺し、死に至らしめたのです。人民のために常に門戸を開いていたマラーも、あまりにふいの出来事でもあり、阻止することはできなかったものと思われます。
マラー殺害の前日、ジャック・ルイ・ダヴィッド(1748-1825年)は彼を訪ねていました。だからこそ、画家は誇り高き友人の死の場面を記録として残したいと願ったのでしょう。ジャーナリストとしてのマラーの唯一の武器であったペンが、血塗られたナイフの傍に描かれています。
そして、マラーが持つ紙片には、シャルロット・コルデーが持参した嘆願書が握られており、
「私の大きな不幸は、私にあなたの善意に訴える権利を与える」
と書かれています。シャルロットは、どうしても伝えたいことがあると言ってマラーに近づいたのだといいます。
傍らの、インク壺とペンが置かれた机がわりの台には、「マラーへ、ダヴィッド」の署名があります。まさに、画家がこの作品を亡き友に捧げていることを示しています。さらに、マラーを救い主キリストの如く描くことによって、ジロンド派への弾圧強化の口実とする意図もあったと思われます。
実際のマラーは、この絵のようにハンサムでもなく、体格も美しくはなかったといいます。しかし、ダヴィッドは、理想化された静謐な画面によって、同時代の革命の英雄をモニュメンタルに描き出しました。そうすることで、聖書や古代神話と同様、血なまぐさい革命の闘争という新たな主題を提示することに成功したのです。
ところで、興味深いことに、フランス第二帝政期を代表する画家ポール・ボードリーによって、シャルロット・コルデーの立場から描いた 「マラー暗殺」という作品も残されています。フランス地図を背にしたシャルロットは、ここではまさに救国のヒロインといった趣きです。のちに、革命裁判で死刑を宣告された彼女が断頭台に引かれていく途上、シャルロットの美しさに多くの男性が心を奪われたとも伝えられています。
★★★★★★★
ブリュッセル、ベルギー王立美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋名画の読み方〈1〉
パトリック・デ・リンク著、神原正明監修、内藤憲吾訳 (大阪)創元社 (2007-06-10出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎美術とジェンダー―非対称の視線
鈴木杜幾子・千野香織・馬渕明子編著 星雲社 (1997-12-12出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)