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「マルタとマリアの家のキリストの見える静物」

ピーテル・アールツェン (1552年)

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 まず目に飛び込んでくるのは、画面中央の巨大な肉です。それにしても変わった作品で、パン生地に刺されたカーネーションといい、厨房画が盛んだった16世紀後半のフランドル絵画であることを考慮に入れても、何とも風変わりな作品といえます。
 しかし、さらに目を懲らして見ると、向かって左側に可愛らしい宗教図像が組み込まれていることに気がつきます。主題は、「マルタとマリアの家のキリスト」です。つまり、ここには、圧倒的な量の食材やら食器やらの日常的な俗なる世界と、聖なる世界の対立が描き込まれているわけです。
 こうした手法は、実は決して珍しいものではありませんでした。鑑賞者に二つの世界を示し、選択を迫るという意味合いがあったようです。

 静物画の草分けの一人とされるピーテル・アールツェン(1508-1575年)は、16世紀ネーデルラントの画家であり、ネーデルラントのマニエリスムを代表する画家の一人でもありました。静物画が巧みで、こうしたちょっと変化のある静物画が得意だったと言われています。
 1535年にアントウェルペンの画家組合に登録し、約20年間活躍しています。その後、1555年に生まれ故郷のアムステルダムに帰郷し、同地に没しています。

 ところで、この作品の中で特に注目すべきは、やはり前景の子羊のもも肉、そしてパン生地に刺されたカーネーションでしょう。これには意味があります。子羊はキリストの犠牲を示し、カーネーションは受肉(神の子たるキリストが人類の救済のために肉体を持った人間として現れること、英語でインカーネーション)の象徴です。さらに、パン生地はまさにキリストの体が肉になりつつあることを暗示しているのです。
 つまり、この絵画には、静物画、聖書の物語、キリスト教の教義がまとめて秘められているということになります。

 さらに、左下に描き込まれた「マルタとマリアの家のキリスト」にも、選択というテーマが込めれています。
 イエス一行がベタニアという村に入ったとき、マルタという女がイエスを家に迎え入れました。マルタは、イエスを心からもてなしたいと望んだのです。ところで、彼女にはマリアという妹がいました。しかし、マリアは最初からイエスの足元に座り込んで、主の話に聞き入るばかりでした。一方、姉のマルタは忙しく立ち働き、一刻も休む暇がありません。思わず、イエスに愚痴をこぼしてしまいました。
「主よ、わたしの妹は私だけにもてなしをさせています。何ともお思いになりませんか。少しは手伝うよう、おっしゃってください」。
 するとイエスは、穏やかに言いました。
「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思い煩っている。しかし、大切なものは多くはない。いや、一つだけなのだ。マリアは、その良いほうを選んだ。彼女からそれを取り上げてはならない」。
 ここでイエスはマルタにも、マリアのように少し落ち着いて、ゆっくり話を聞きなさい、と言っているようです。本当に大切なことを忙しさで見失ってはいけない、そんなふうに諭しているようです。

 これは聖書の中でもよく知られたお話ですが、ちょっと難しい問題を含んでいます。現実的に考えたとき、女主人としては客人がいるのに、もてなしをしないわけにはいきません。もちろん、客人の話に耳を傾けたいのもやまやまですが。現代の賢い主婦なら、来客のときには文明の利器を活用して手際のよい用意もできたでしょうが、当時の厨房ではお湯を沸かすのも大変な作業だったことでしょう。それを考えると、個人的には、イエスの言うことはちょっと男目線の無理難題のように感じられますし、マリアは立ちまわり方の上手なチャッカリさんのように感じられてしまうのです。
 もちろん、これは信仰を持たないからこその勝手な感想なわけで、イエスの言葉の意味するところがもっと深いものであることはもちろんです。しかし、マルタになるか、マリアになるか、人間は難しい選択を迫られているように思えます。

 そんなことも思い合わせて改めて見たとき、この絵画は、どこか大いなる矛盾に満ちています。もしかすると、それが真のテーマかもしれません。イエスの話に聞き入るマリアと、忙しく動き回るマルタ。そして、俗なる厨房の品々と、片隅に描き込まれた聖なる物語。この相入れない、選び難い対比には、今もなかなか答えは出せないような気がします。

★★★★★★★
ウィーン、 美術史美術館 蔵

<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社(1989-06出版)
  ◎ルネサンス美術館
       石鍋真澄著  小学館(2008-07 出版)
  ◎アートバイブル
       町田俊之著 日本聖書協会 (2003-03-15 出版)



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