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「メデューズ号の筏」

ジャン・ルイ・テオドール・ジェリコー(1819年)

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 叫び声とうめき声と、絶えることのない狂ったような波のうねりと….目も耳も覆いたくなるような光景です。これは、19世紀のフランスで実際に起こった、フランス海軍フリゲート艦の難破事故を扱った作品です。
 1819年、テオドール・ジェリコー(1791-1824年)は、大作「メデューズ号の筏」によって、フランス・ロマン主義絵画の始まりを高らかに告げたのです。

 メデューズ号がセネガルの海域で座礁したのは、1816年の夏のことでした。150人を越す乗組員を残して、船長と何人かの将校だけが数少ない救命ボートに乗り込んで脱出をはかったのです。見捨てられた乗組員たちは、破損したメデューズ号の用材で筏をつくり、13日間も漂流したといいます。悪天候にさらされ、ついには死んだ仲間の人肉を食べてしのぐうち、生存者はたった15人になっていました。
 生き残った者たちは、今まさに生と死の間をさまよっています。画面の手前に描かれているのは、すでに死んでいるか、生きる気力を失ってしまった人たちであり、絵の中央で必死に腕を伸ばしているのは、生にしがみつこうとする人たちです。彼らは、はるか遠く、波間から見える船にすべての希望を託しているのです。

 そのすさまじい光景は、ジェリコーの手で、くっきりとした明暗法に仕上げられ、圧倒されるばかりの迫力です。画面は水平線によって上半分の明るい部分と下半分の暗い部分に分けられ、筏はほとんどその暗い部分に描かれているのです。後方からの、地獄からとしか思えないような暗い光が筏の上の肉塊と化した死体を白く浮き上がらせ、その凄惨さをいっそう際立たせている一方では、生き残った者がこの地獄から逃れるため、シャツを振って必死に合図を送っているのです。この明と暗、生と死の対比が、無駄なものをそぎ落として、クッキリと見る者に迫ってくるのです。
 完全な絶望から、わずかな希望へとグラデーションをなす三角形は、希望のピラミッドと呼ばれています。筏の右側の樽を基点にして三角形は完璧な形となりますが、この樽は画家の創作ではなく、生存者の証言をもとに正確に描かれているのです。印象的で巧妙な構図は、飽くまでも事実にこだわった画家の強い思いの賜物だったのです。
 この人間ドラマを描くために、ジェリコーは、生き残った乗組員に会って当時の状況をつぶさに取材し、制作には1年余を費やしたといいます。画面にリアリティーをもたせるため、近くの病院に通って瀕死の病人の肌を観察したり、処刑された犯罪者の首や手足をアトリエに運び込んでスケッチしたといいますから、ただごとではありません。さらに、より際立つ黒を求めた画家は、物陰の人物を靴墨を使って描いています。ただ、これは時とともに作品に大きなダメージを与える結果となり、結局、画面をいっそう暗く陰惨なイメージにしてしまったようです。

 ところで、漂流者たちは、まるでジムで鍛え上げたような身体をしています。しかし、当時のフランス海兵隊の食生活を考えたとき、体格に関してだけは事実に忠実ではないらしいことがわかります。それは、やせ細った哀れな身体で見る者の同情を買うのではなく、どんな状況下でも生き抜こうとする人間たちの闘いのドラマを描こうとした画家の強い意志だったに違いありません。だからこそ、画面は動かし難い荘厳さに支配されているのです。
 ナポレオンが退位したのち、自国フランスは低迷の一途をたどっていました。ナポレオンがフランス皇帝の座についていた1804年から14年の帝政期にもてはやされた新古典主義の厳格な様式は、もはや時代の好みに合わないものになっていたのです。画家たちが新しいテーマと表現方法を模索し始めていた時期、いち早くジェリコーによって、ロマン主義という人間ドラマへの道が切り開かれたのです。

★★★★★★★
パリ、 ルーヴル美術館蔵
 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
        小学館 (1999-12-10出版)
  ◎西洋美術史
       高階秀爾監修  美術出版社 (2002-12-10出版)
  ◎西洋絵画史who’s who
       美術出版社 (1996-05出版)

 



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