一見すると、美しい貴婦人の肖像画です。宝石のちりばめられた斬新なデザインの首飾りが目を引きます。鳥の羽根のついたビロードの帽子、細やかにビーズをあしらった同色のドレス、波打つ栗色の髪や薔薇色の頬の、なんて美しいこと……。画家のみごとな技量が伝わります。
しかし、彼女の毅然とした目は、全く笑っていません。なぜなら、その手には血のついた剣と男の生首が握られているからです。
旧約聖書外伝「ユディト書」は、多くの画家にインスピレーションを与えてきました。ドイツ・ルネサンス期の魅力的な画家クラーナハも、計6点の「ユディト」を描いています。
ユディトは、かつてイスラエル軍の中将であったヨシュアの妻で、先の戦争で夫を亡くし今や未亡人となっていました。彼女は、エルサレム近郊の町ベツリアがアッシリア軍に包囲されたとき、決意をもって将軍ホロフェルネスの陣営に赴き、彼の歓心を買い、その寝首をかいて将軍の生首を持ち帰りました。おかげで、ユディトの働きはイスラエル人の士気をあげ、イスラエルを勝利に導いたのです。
旧約聖書の中の女傑ユディトは、”美女に手玉にとられる男”という中世末期に流行した風俗的意味合いをもった図像であり、悪徳に勝利する美徳の寓意とも言われています。
しかし、この時期、ドイツにおいては、ローマ・カトリックとの対決姿勢をあらわにしたルターによる宗教改革の波が起こっていました。ユディトの逸話は、華美な偶像崇拝を特徴とするローマ・カトリック教会に対する勝利と重ね合わせられ、好まれた主題でもあったのです。
ルーカス・クラーナハ(1472-1553年)は、1500年ごろからウィーンで画家としての活動を始め、1505年にザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公に招かれ、今のドイツ北東部にあるヴィッテンベルクの宮廷画家として活躍しました。
彼はここで、祭壇画、肖像画、静物画などを手掛けたほか、あらゆるイベントのプロデュースも担当したと言われています。さらに、ヴィッテンベルクの市長まで務め、なんと薬やワインの商い、印刷業にまで手を出して、ことごとく成功を収めていたのです。そのためか、クラーナハの墓碑銘には、「もっとも迅速な画家」と彫られているといいます。それは彼が速筆であっただけでなく、いかに多彩な活躍をしたかが偲ばれる言葉ではあります。
ところで、ユディトを多く描いたからといって、クラーナハ自身が宗教改革の賛同者であったというわけでもなかったようです。彼の思想的立場は曖昧で、実は、ルターの宿敵とも言える枢機卿の肖像画も何枚も描いているのです。
クラーナハのみならず、当時の画家は一般に、特定の思想や立場に縛られることなく、注文に応じて制作するのが普通だったようです。自分の思想になど構っていたら、よい注文主を逃がしてしまい、生活そのものが危うくなってしまったというのが素直なところなのでしょう。今も昔も、家族を支えて生きていくのは大変なことなのです。
★★★★★★★
ウィーン、 美術史美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)
◎絵画でたどる聖書の中の女性たち
ドーロテ・ゼレ等共著 (京都)同朋舎出版 (1994-05-20出版)
◎ルネサンス美術館
石鍋真澄著 小学館(2008/07 出版)