エルサレム近郊のベツリアに住む美しい未亡人ユディトは、攻め入ってきたアッシリア軍の将軍ホロフェルネスのもとへ、寝返ったふりをして侵入します。彼女をすっかり信用したホロフェルネスが、ユディトのために用意した宴会の食事をすべて平らげて眠り込んでしまうと、ユディトは剣をとり、神に加護を願いながらホロフェルネスの首めがけて思いきり振り下ろします。二振りしたときに、苦痛にゆがんだ表情のまま、首がごろりと床に落ちます。この劇的な「外典ユディト書」に記された物語は、あまりにも多くの画家によって描かれてきました。
それにしても、主人公が美しい女性であるせいもあって、ショッキングな場面であるのに比較的優美に、またいかにも物語的に描かれてきたこのテーマを、カラヴァッジオは目をそらすこともできないほどのリアリティをもって描き出しています。
剣でえぐられた首から鮮血が噴き出し、断末魔のホロフェルネスは目をむいて、ユディトを… というよりも虚空をにらみ、その手はむなしく開かれ、宙をつかみます。苦痛に歪んだ口元からは、叫びともうめきともつかない声が発せられているのでしょう。美しく清楚なユディトの眉間には名状しがたい皺が刻まれ、上半身はホロフェルネスが今にも逆襲して来るのではないかと恐れるかの如く、大きく反対側に反らされています。そして後ろに立って首を受け取ろうと待ち構える召使いもまた異様に目を見開いて、その場面をじっと見つめています。将軍殺害という、言うなればクライマックスの場面を、バロックの巨匠カラヴァッジオは、まるで舞台の1シーンのようなリアルさで私たちに突きつけてくるのです。
そう…これは舞台上の場面と言えるかも知れません。左上から差し込む強烈な光線によって、ユディトの胸は明るく照らされ、横たわるホロフェルネスの筋骨隆々とした胸は陰となって、その明暗の対比はそのまま生と死の対比となって、いかにもドラマチックです。しかし、これが舞台上での出来事めいて感じるのが光線の作用ばかりでなく、このユディトの姿にも、どこか演技が感じられるからかも知れません。ユディトのこの姿勢では、鍛えぬかれた強靭な体力を持つと想像されるホロフェルネスを、いかに油断しているとは言え、殺害することはできないだろうと思われます。彼の首にこれほど深く剣を食い込ませるには、ユディトの体力から推して、上に馬乗りにでもなって真上から全身のちからをこめなければ、まず無理なのです。
しかし、その感覚的な違和感が、現実ではない舞台上の一場面という感じを抱かせるにもかかわらず、やはり私たちは、この作品から照射される強烈なリアリティーから逃げることができません。現実への関心が高まり、宗教画や神話画がより現実的な表現をとるようになった17世紀のバロック美術の中で、バロック最大の画家と言われるカラヴァッジオならではの、みごとなばかりに徹底した写実性が、見る者を呑み込んで、カラヴァッジオ魔術に引きこんでしまうからなのです。
★★★★★★★
ローマ、 国立絵画館 蔵