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「ラ・ヴェッキア(老女)」

ジョルジョーネ(1508ー10年ごろ)

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 人は誰でも老いていきます。黒い背景に浮かび上がった女性は薄くなった髪を頭巾に包み、何本か前歯の抜けた口元で、画面のこちら側に向かって何事か語りかけているようです。彼女の手元の紙か布か定かではありませんが、そこには「ColTempo(時とともに)」と記されています。それは女性からのメッセージと受け取って間違いなさそうです。時とともに訪れる老いを忘れるな、ということなのでしょう。少し悲しそうな、それでもはっきりとした視線に、鑑賞者は一瞬言葉を失います。
 この女性のモデルは画家の母であるという説もあるようですが、おそらく違うでしょう。モデルはいるかもしれませんが、この作品には単なる人物描写を超えた哲学的なテーマが秘められていると解釈できそうです。「時の流れ」「死」といったものの象徴かもしれませんが、「自然の循環」「無常」といった答えの出ない深淵なものかもしれません。
 ただ、この決して豊かではないと思われる女性は、画面左側からの柔らかい光に包まれて、不思議な温かさを感じさせます。画家の技量の高さがもたらす丁寧に筆を重ねた色彩の妙が、彼女に今を生きている生命感、息遣いまでも与えているようです。私は歳をとってしまったけれど、心はまだ若く美しかったときのままだよ、と私たちに語りかけているようです。
 

 この印象的な老女を描いた作家は、イタリア・ルネサンス期、特にヴェネツィア派の重要な画家として知られるジョルジョーネ(1477年頃ー1510年)です。彼は33歳という若さでこの世を去りました。彼の生涯についてはほとんど知られていませんが、ティツィアーノをはじめ17世紀の画家たちにさまざまな形で強い影響を与えました。さらに、後のバロック芸術にも影響を残し続け、ルネサンス後期の絵画発展に重要な役割を果たしたことは、その活動期間の短さを勘案すれば特筆すべきことです。
 ジョルジョーネの作品はロマンティックで神秘的であり、その独特な静けさはルネサンス芸術における風景画や肖像画の発展に大きく寄与したことが知られています。その色彩の豊かさと繊細さ、そして大げさでない自然な写実は見る者の心に深く染み込んでくるようです。彼は、風景と人物が一体となった絵画を描いた最初の画家であり、宗教・寓意・歴史などの意味を持たない小作品という新しい絵画ジャンルの創始者であったことも忘れてはならないポイントです。
 

 ところで、ジョルジョーネは存命中から高く評価され、イタリア屈指の芸術家と言われていたのにもかかわらず、彼の真作についてはさまざまな論争があり、多くの作品がジョルジョーネではなく別の画家のものとみなされてきました。特にジョルジョーネの弟子ともいわれる若きティツィアーノの作品はジョルジョーネの絵画と非常によく似ており、作品を正確に判別するのは困難でした。エルミタージュ美術館の「ユディト」は長い間ラファエロの作品と見なされ、「眠れるヴィーナス」はティツィアーノの作品とされていました。ジョルジョーネがなぜか作品に署名を残していないこともあり、現存するもので間違いなくジョルジョーネの真作と認められている絵画はわずかに6点だけと言われています。
 

 ところで、老女の手元にある「時とともに」という言葉は、「死を想え(メメント・モリ)」を想起させます。こちらは「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句と言われています。この2つにはどこか絶望的な、運命からは逃れられないよ、という厳しさが込められているように感じます。
 しかし「老いを忘れるな」「死を想え」と言いながら、それは中世の修道院では挨拶の言葉とされていました。この世の生の儚さを意識しつつ、「その日一日の花を摘め。今を生きよ」と続いたようです。そこまで知ると老婆の投げかける視線の先に、実は鮮やかな赤い花が咲いているような気がしてきます。

 

★★★★★★★
 ヴェネツィア、 アカデミア美術館 蔵 
 

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術史(美術出版ライブラリー 歴史編)
       秋山聰(監修)、田中正之(監修)  美術出版社 (2021-12-21出版)
  ◎改訂版 西洋・日本美術史の基本
       美術検定実行委員会 (編集)  美術出版社 (2014-5-19出版)
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」
       木村 泰司 著  ダイヤモンド社 (2017-10-5出版)
  ◎超絶技巧の西洋美術史
       池上 英洋, 青野 尚子 著  新星出版社 (2022-12-15出版)



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