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「ルイ=オーギュスト・セザンヌの肖像(画家の父)」

ポール・セザンヌ (1866年)

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 背もたれの高いソファに座り、熱心にレヴェヌマン紙に目を落とす初老の男性は、セザンヌの父、ルイ=オーギュストです。彼は帽子の販売と輸出仲買業で財をなし、銀行まで設立した立志伝中の人物でした。そして、息子であるセザンヌにとって、あまりにも堅牢な抑圧の象徴であり、敬愛の対象でもあったのです。

 ポール・セザンヌ(1839-1906年)は、美しい自然に恵まれた南フランスの町、エクス・プロヴァンスに生まれています。照りつける太陽が光と陰のコントラストを際立たせるこの土地で、彼はその激しく、そして神経質な性質を培っていったのです。
 成績の良かったセザンヌに父は強い期待をかけ、将来は自分の後継者にと考えていたようです。しかし、セザンヌの気持ちは芸術に向かっていました。エクスの名門ブルボン中学で、パリから来たエミール・ゾラと親しくなったセザンヌは、ゾラと一緒に詩やギリシャの古典、ロマン派のユゴー、ミュッセの作品に心酔し、一方で、絵画の魅力に引き込まれ、将来は画家になりたいと考えるようになっていったのです。
 ゾラの強い説得で、画家になるためにパリに出たセザンヌに、父は決してよい顔はしませんでした。しかし、独裁者のごとく君臨するルイ=オーギュストも、息子の夢を握りつぶしてしまうようなことはできなかったようです。その後も、都会生活になじめず、絵では生計を立てられないセザンヌに仕送りを続け、結局、1886年の10月23日、88歳で亡くなるまで、息子への援助を絶やさなかったのです。さらに、死後も莫大な財産を残すことで、セザンヌに絵を描き続ける環境と経済的な安定をもたらしてくれました。
 セザンヌは生涯、父を畏れていたことでしょう。一生、頭の上がらない存在だったのは間違いありません。「私の父は偉大な存在だった」という述懐は、そうとう複雑なものでもあったように思われます。

 セザンヌは非常に偏屈で、人間の好き嫌いが激しく、自信家でありながら小心者だったと言われています。そうした、なかなか複雑で一筋縄ではいかない性格も、この父の存在、重圧が大きかったせいなのかもしれません。しかし、この人の後押しがあったおかげで、息子は、同時代の誰もが目にしながら自覚できずにいた課題を生涯追い求め、今日もなお多くの画家に多大な影響を与える仕事を成し遂げることができたのです。
 ソファに浅めに腰掛け、決してくつろいだ様子を見せずに新聞を読む父を、画家は確かな筆致と正確な明暗法を用いて描きました。おそらく彼は、最大の敬意をもってこの作品を制作したに違いありません。

★★★★★★★
ワシントン、ナショナル・ギャラリー 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術史(カラー版)
      高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎印象派美術館
       島田紀夫著  小学館 (2004-12出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也訳  講談社 (1989-06出版)



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