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「レオナルド・ダ・ヴィンチ礼賛」

オディロン・ルドン (1908年)

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 豊かな色彩の中に瞑想的な植物たち….そして、やわらかな筆致で描かれた穏やかな微笑…。タイトルを見たときは少々困惑させられてしまいますが、ルドンが自らと同じように熱意をもって自然の美を追求した芸術家に敬意を表しているのだと解釈すれば、十分に納得のいく夢のように美しい作品です。ルドンは若いころ、ダ・ヴィンチのデッサンをさかんに模写していたと言われています。その話から推しても、この絵の中の聖母を想わせる女性は、ダ・ヴィンチの描いた『聖アンナと聖母子』を想起させてくれます。

 この当時、「~礼賛」というタイトルが流行ったのでしょうか、モーリス・ドニにも『セザンヌ礼賛』という不思議な作品があります。というのは、その絵はそのタイトルにもかかわらず、実際にはルドンに対する敬意を表現したものと思われるからです。中央にセザンヌの静物画が置かれていますが、ルドンは画面左端に非常に端正な人物として描かれ、周りの他の画家たちはセザンヌの絵をではなく、ルドンに敬意の眼差しを向けているのです。ここからもわかるように、ルドンは当時ゴーギャンを取り巻いていたナビ派の画家たちから、象徴派の旗手と見なされていたのです。

 1880年代の半ばまで、ルドンは油彩画といっても風景や花の習作しか描きませんでした。しかも、色彩はほとんど重要な役割を果たしていません。そこには、彼の私生活におけるさまざまな個人的悲しみが影を落としていたことも事実のようで、1874年の父親の死後、遺産相続をめぐる長く不幸な争い、長男ジャンのわずか6ヶ月での死、クラヴォー、マラルメ、ショーソンら親しい友人の相次ぐ死、そして自らの大病….と、彼には息つく暇もありませんでした。その数々の不幸が、彼の内面にあった色彩への希求を抑えつけていたと想像するのは非常に安易ではありますが、人は深い悲しみを体験したとき、色彩に対して心を閉じてしまうことも、間間あることなのではないでしょうか。

 しかし、19世紀末の数年間にルドンの画風は一変します。それまで続いた「黒」の陰気な木炭画やリトグラフとは驚くべき対照を見せ、1916年の死の間際まで、ルドンのカンヴァスは喜びにあふれた肖像画、花、色彩の幻想に満たされるのです。そこには、初期の恐怖や死のイメージはまったく姿を消し、幸福感でいっぱいになってしまうのです。
 そうなるには、いくつかの要素がありました。まず、最後の印象派展に出品したとき、ゴーギャンと親交を結んだことは大きかったと言われています。印象派仲間の写実主義とはまったく対照的に、ゴーギャンは感情豊かで色彩にあふれた装飾的な画風を生み出していましたが、殊にその大胆な色使いが、すでに50代半ばに達していたルドンを圧倒し、彼に「黒」からの離脱を促したのです。ポール・ゴーギャンほど、ルドンに深い影響を与えた画家はいなかったのではないでしょうか。
 そしてゴーギャンからインスピレーションを得る一方で、ゴーギャンをとりまくドニ、ボナール、ヴュイヤールらの、自らナビ派と称したグループに囲まれるようになりました。若い画家たちはルドンの芸術に深い敬意と共感を示してくれたのです。彼らの支持はルドンにとって、新たな自信となっていきましたし、ゴーギャンが南の島へ去ったあとは、ルドンを指導者と仰ぐようになったのです。

 また、「黒」からの脱却のもう一つの理由として、1894年から95年にかけて患った大病から回復し、心に力を得たことも大きかったと思われます。病気から回復したあと、彼は以前の陰鬱で内省的できわめて宗教的な不安を、つとめて追い払うようになります。そしてもう一つ、もしかするとルドンにとって一番大きかったかも知れない要素としては…孤独な幼年時代の思い出として、彼の中に絶えずつきまとって離れなかったペイルルバードの農園が、他人の手に売却されたことです。ペイルルバードはルドンにとって、トラウマとも言うべき不安の根源のような場所だったからです。このことが最終的に、ルドンの暗い過去とルドンを完璧に断ち切ってくれたものと思われます。

 生命と光に向って扉が開かれたように色彩を得たルドンでしたが、しかし、その内気で慎み深い性格は変わりませんでした。彼が晩年、好んで描いた花の絵の大半は、妻が彼のために育てた庭の花たちだったのです。か弱くかぐわしい生き物たち….と言って、彼は花々を愛で、描きました。もしかすると、この『レオナルド・ダ・ヴィンチ礼賛』の中に描き込まれている植物たちも、ルドンの家の庭の花々だったのではないでしょうか。そしてその中で、穏やかに微笑むこの聖母は…まさしくルドンにとっての永遠の聖母、妻のカミーユだったのではないでしょうか。

★★★★★★★
アムステルダム、 市立美術館 蔵



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