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「ヴィーナスの誕生」

アレクサンダー・カバネル  (1863年)

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 真珠色に輝くようなヴィーナスは、ちょうど生まれたばかり。まだ、まどろみの中にいるのでしょうか、天使たちの祝福にも気づいていないように見えます。

 ギリシア最後の詩人ヘシオドスの「神統記」(188-200)によれば、ヴィーナスは海から生まれ、穏やかな風にうながされ、ホタテ貝の貝殻に乗って浜辺に漂着し、キプロス島のパフォスに上陸したとされています。そして、それはまさにルネサンスを代表する画家ボッティチェリの描いたヴィーナスの姿を思い出させます。戸惑うような、やや悲しげな表情のヴィーナスの美しさは500年の時を超えて人々を魅了し続けているのです。
 しかし、同じ主題ながらカバネルの描いたヴィーナスからは、ボッティチェリ作品のような恥じらいは感じることができません。大胆で官能的で、「私を見て」とさえ言っているようです。こうした物憂げな官能性にあふれた姿は同時代の裸婦像の典型でした。理想化された神話の女神は、当時の人々の好みをよく反映したものだったのです。

 1798年以来、サロン(官展)での入選は画家たちの大きな目標でした。当時、芸術家たちが作品を発表する機会はサロン以外にはなかったからなのです。会員以外の参加を認めて以来、サロンでは審査制度が導入され、そのため作風にも一定の基準が設けられていました。基準に合わない画家たちには、当然サロンは狭き門だったわけです。したがって、当時としては革新的な作風を持ったマネを初めとした印象派の画家たちにもまた、サロンは遠い存在でした。
 それに対し、カバネル(1823-89年)は第二帝政期から第三共和政期にかけて、フランス・アカデミーに君臨した画家でした。当時の人々が好んだのは、まさにカバネルが描いたような光沢のある、滑らかな絵肌を持つ伝統的な絵画だったのです。ブルジョワのコレクターたちの趣味、嗜好をしっかりととらえたカバネルは、パリ市庁舎のための装飾を初めとして数々の公的な注文をこなし、幾多の賞や名誉を得ていきました。

 そんなカバネルの輝かしい経歴のきっかけとなったのが、この「ヴィーナスの誕生」でした。ヴィーナスの肌の美しさに感激した当時の皇帝ナポレオン3世はこの作品を買い上げ、カバネルはこの成功によって叙勲まで果たしたのです。サロンでの称賛は、その後のカバネルの人生を決定づけました。
 ところが、このためにカバネルは反印象派のレッテルを張られてしまったようです。死後の評価は不当に低いものとなってしまいました。あれほどの成功と名誉をほしいままにした大家でありながら、いまだに研究が進んでおらず、多くの代表作が行方不明のままなのです。サロンの入選・落選が画家たちの命運を左右した時代も、今では遠い昔ということなのかもしれません。

★★★★★★★
パリ、オルセー美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也訳  講談社 (1989-06出版)
  ◎西洋美術史
       高階秀爾監修  美術出版社 (2002-12-10出版)

 



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