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「一角獣と貴婦人」

ラファエロ・サンツィオ (1505―06年)

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 なかなか強い眼差しの肖像ですが、それでもじっと見つめることができるのは、彼女の視線がやや鑑賞者をはずれているせいかも知れません。
 この作品は、はじめは棕櫚の葉を持つ聖女カタリナの図だったのですが、1935年に修復された際、古代東方の伝説的、空想的動物である一角獣が現れたのです。男性を避け、純潔な処女の膝に安らいで自らを捕らえさせると言われる一角獣は力強きものの象徴とされていますが、ここに描かれた彼は実に可愛らしい目をしていて、あどけなく、触れたものなら何でも浄化するちからを秘めていると伝えられる頭上の角がなにやら邪魔そうで、微笑ましい存在としてうつります。

 ところで、この作品の帰属に関しては少々曖昧です。実はペルジーノ作品であるとも、ギルランダイオとも、またアンドレア・デル・サルトの作品であるとも言われてきたのですが、現在ではほぼラファエロ作であろうということで落ち着いています。しかし、これは驚くほどの話ではなく、16世紀のはじめ頃にはこうした雰囲気の女性像が数限りなく描かれていたのです。それは、『チェチリア・ガレラーニ』『ジネヴラ・デ・ベンチ』など、すべてダ・ヴィンチとその派から生まれた女性像の改作だったのです。しかし、その作品群のなかで、この肖像はもっとも美しく、節度を守った佳作です。ダ・ヴィンチが生み出したスフマートの濫用にも陥らず、高貴な雰囲気をきちんと保った美しく稀有な作品なのです。
 そして、これがラファエロの作であることに間違いないとして、ラファエロはおそらく、あらゆる研究家が指摘するように、『モナ・リザ』を目指したのに違いないと思われます。20歳そこそこのラファエロにはすでに、当面めざす相手はダ・ヴィンチだけだったのです。それだけ彼は修練を積み、高い職人芸を持ち合わせた画家だったと言えます。
 しかし、さらによく見るとき、この作品はあきらかにモナ・リザとは異なる道を歩むラファエロを感じさせます。言うなれば、人間の魂の謎の微妙さを追求するのではなく、人間存在そのものの明澄さを宮廷的な冷たさで包み込んだような雰囲気なのです。
「モナ・リザの理想化とはなんたる隔たり!」
と言った批評家もいたようですが、それは比べること自体、まったく違う次元のことのように思われます。

 ラファエロよりもはるかに鋭い観察者だったダ・ヴィンチにとっては、自然界はもうすでに秩序が乱れ、得体の知れぬ創造と破壊を繰り返す魔的なちからを持った世界だったかも知れません。そして、ラファエロよりも人間と神との対立を敏感に感じ取っていたミケランジェロは、神による人間の救済を、たとえばルター派の人間のようには信じることができずに苦しみました。
 しかし、ラファエロは、自然や神をそれほど深く考える人ではなかったように思います。彼の本質はまさしく民衆の中の一人だったのです。だからこその大衆性と理解しやすい美しさ、親しみやすさは快く、私たちをピクニックにでも出かけるときのように安心させてくれます。そして大多数の人々の教化を目的とした当時の聖職者にとっても、教会がもっとも嫌ったあの曖昧さやある種の卑猥さが全く感じられないラファエロ作品のすがやかさは、もっとも賞揚するに足るものだったのです。

★★★★★★★
ローマ、 ボルゲーゼ美術館 蔵



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