まぶしいほどの黄金色にあふれた画面は暖かく、画家の愛に満たされているようです。町の中でよく見かける、何気ないシーンなのかもしれません。しかし、色彩の魔術師ボナールにかかると、こんなにオシャレなアートになってしまうのです。
ボナールは、モンマルトル付近の町並みを描くのが好きでした。なかでも、町なかを行く馬車の車輪は、彼の作品にしばしば登場します。ここでも、女性の背後に大きな黄色い車輪が、やや誇張されて描かれています。彼女はどうやら腰をかがめているようで、右手に持った白い紐の先には、白い犬がつながれているのです。あまりにも黄色が明るいため、すべては夢の中の出来事のようです。
この作品を制作したころ、ピエール・ボナール(1867-1947年)はポスター作家として人気を得ていました。ボナールはもともと装飾美術に興味があり、平坦な色遣いに特徴のある「ナビ派」というグループに属していました。ただ、仲間たちが中世キリスト教の装飾的な芸術に憧れていたのに対し、ボナールの興味は日本の浮世絵や扇子、屏風といったものに向けられていました。そのため、彼はナビ派の仲間たちから「超日本的ナビ」と呼ばれていたのです。
ボナールと日本の美術の出会いは1890年4月、彼が通っていたエコール・デ・ボザール(国立美術学校)で開かれた浮世絵展だったといいます。その独特の遠近感や平面性、線の豊かな表現などにすっかり衝撃を受けたボナールは、以後、東洋の美術の持つ親密性に惹かれ続けることとなります。
装飾と美術の接点を模索するボナールが、大衆的な芸術として人気の出てきたポスターに興味を抱いたのは、ごく自然なことだったかもしれません。彼は、浮世絵の特徴をアレンジしたポスターを制作して好評を博しました。また、彼の描き出す輝くような色彩は、印象派からの影響だったと言われています。
ただ、さまざまな画派から得るものが大きかったわりには、ボナールは「ナビ派」にも「印象派」にも距離を置いていました。彼はとてもはにかみ屋で、家柄の良さから多くの上流階級の人々のために制作しながらも、いつも物静かな存在であり続けたのです。
ボナールは、いつも手帳を持ち歩いていたといいます。そして、天気のこと、日常のちょっとした出来事や印象に残ったことを丹念にメモしていたのです。彼は瞬時の印象を大切にしました。繰り返し手帳を見ては、その時の印象と色彩を取り出そうとつとめたようです。
この作品も、そんな印象の中のひとこまなのかもしれません。黄金色の大きな車輪は、まるで仏像の光輪のようで、このあたりにも意識してか知らずか、日本美術の影響を感じさせます。色彩の中からこちらを見つめる女性の目はとても優しげで、画家は一瞬、彼女に菩薩を感じたのかもしれません。
★★★★★★★
パリ、 ヴァルセル画廊 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派美術館
島田紀夫著 小学館 (2004-12出版)
◎週刊美術館 14 ―ロートレック/ボナール
小学館 (2000-05-16発行)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 (1996-05出版)