はにかんだような、本当に愛らしい笑顔を向けるのは、アムステルダムに住んでいた法律家の娘、カタリーナ・ホーフトです。いかにも育ちのよさそうな、こうしたモデルの役目にも慣れていそうな彼女ですが、無意識に右手が傍らの乳母の喉のあたりに伸びているのは、やはり少し緊張してしまったのでしょうか。そんな小さなしぐさも見落とさず、画家はしっかりととらえていました。りんごを持ってあやす乳母も、ふとこちらに視線を送り、画家と主人公と乳母の間には、何とも暖かい空気が流れているように感じられます。
それにしても、カタリーナの身につけている衣装のみごとさには目を奪われます。張りと光沢のある生地、繊細な レースの飾りは彼女の可愛らしさを最大級に引き立て、小さなカタリーナは服の中に埋まってしまいそうです。ハルスは大胆に力強く色を置いていくことが特徴の画家ですが、この レースの、触れれば折れてしまいそうな細やかな表現には、彼の真の技量を見せつけられたようで、圧倒されます。
しかし、フランス・ハルス(1581―1666年)は、なぜか不当な評価を受けた画家でした。それは、彼の、筆の跡を残す自由な筆遣いが、滑らかな絵肌をこそ良しとした17世紀の美術潮流の中では、斬新すぎ、異端だったからです。ハルスの生き生きとした画面も、当時の人々の目には酔っぱらいの未完成な作品と映ったようです。
それには、理由がありました。イギリスの肖像画の歴史に一時代を築いた画家ヴァン・ダイクがハルスをイギリスに招待したとき、ハルスは何と酒びたりの生活を送っていたというのです。このため、彼はこの申し出をぽんと蹴ってしまい、ヴァン・ダイクがハルスの子供に渡したお金も、すべて酒代に消えてしまった、という話がまことしやかに流れていたからです。ハルスはなんと、大酒飲みの放蕩者という、根拠のない烙印を押されてしまったのです。
対象をカンヴァスに直に描いてゆく彼の画風は、結局、同時代の画家には受け継がれなかったわけですが、19世紀後半、マネやクールベといった印象派につながる画家たちに大きな影響を与えることとなるのです。
★★★★★★★
ベルリン国立美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎名画への旅〈14〉/17世紀〈4〉市民たちの画廊
高橋達史・尾崎彰宏 他著 講談社 (1992-11-20出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)