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「仕事場の聖エリギウス」

ペトルス・クリストゥス (1449年ころ)

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 若く美しい婚約者たちが、頼んであった指輪を受け取りにやって来たところです。さっそく指輪に手を伸ばそうとしている女性の心は、すっかりそちらに引き寄せられているようで、隣にいる男性の存在を一瞬忘れてしまっているように見えます。いつの時代も、女性の最大の喜びが何かを、画家はちゃんと知っていたのかも知れません。

 仕事場に座るのは聖エリギウス、金銀細工師の守護聖人とされた信仰篤い人物です。彼は、リムーザン地方のシャプトラの貧しい家に生まれ、リモージュの金工のもとで修業したのち、パリに赴き、国王クロタール2世(在位584-628年)のために黄金の鞍二つを製作して名声を得て造幣長官となりました。その後、ノアイヨン司教となり、金銀細工師として多くの聖遺物箱を作成したと言われています。
 また、伝説によると、悪魔が馬に乗り移って蹄鉄を打ちに来たところ、聖エリギウスはその一脚を切断し、それに鉄床をつけて懲らしめたと言われています。また、美女に化けた悪魔の鼻を焼け火箸ではさんだ話も有名で、そのため、金工、蹄鉄工、馬の守護者、そしてボローニャとノアイヨンの守護聖人ともされているのです。

 この作品も、おそらくブリュージュの金銀細工師組合のために制作されたものと思われます。棚に置かれた壺や貴金属類、そして女性の衣装の精緻な描写の冷たいほどの美しさに、鑑賞者は目を奪われます。ここに、画家の充実した力が感じられるのです。そして、その硬質な美しさ、色彩の妙に酔った目に、ふと、机上の凸面鏡が止まります。そこには、道行く人々の姿が映り、この画面の登場人物が三人だけでなかったことに気づくのです。そして凸面鏡を効果的に使った作品として私たちは、『アルノルフィニ夫妻の結婚』があったことを思い出します。

 ネーデルラント絵画の第二世代と呼ばれるのは、フレデリック・バウツ、そしてこのペトルス・クリストゥス(1410/15-75/76)をはじめとした画家たちでした。彼らはイタリア絵画の影響を感じさせる一点透視法を試みるなど、その前の世代にはなかった新しい展開を始めます。
 その中でクリストゥスは、15世紀ネーデルラント絵画の創始者ヤン・ファン・エイクの実質上の後継者と言われ、1441年のファン・エイクの死に際して、未完のままで残された数点の作品を完成させ、数点の作品の構図をコピーしています。机上の鏡は確かに、ファン・エイクからの借用でしょう。

 よく言われるようにこの作品は、ファン・エイクのようなみごとな客観性、細部にまで行き渡った精妙さには欠けているかも知れません。また、ある種の煩雑ささえ感じられるという指摘にも頷けるものがあります。しかし、この現実感がクリストゥスなのです。親しみやすい平明さこそ、この画家の持ち味の一つだったと言えるのでしょう。彼は、宗教画よりもむしろ、鋭い人間観察に基づいた肖像画にこそ力を発揮した画家なのです。

★★★★★★★
ニューヨーク、 メトロポリタン美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎画家たちの祝祭―十五世紀ネーデルラント
         堀越孝一著  小沢書店(1990-08出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)



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