何と堂々たる体躯を誇るキリストでしょう。こんなキリストって、あり得ない……という声が聞こえてきそうです。画家はキリストの胴体を、まるで円柱そのもののように描きました。胸や腕の隆々たる筋肉、太い首…..。これが、あの苦しみ、やつれ切ったはずのイエスなのでしょうか。悲しげに遠くを見る目にも、力強い光が宿っているように感じられます。
ユダヤにおけるローマ総督 ポンテオ・ピラトは心ならずも、磔刑に引かれて行く直前のキリストをむち打つよう、命令を下します。この出来事を、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの各福音書はごく簡略に、「ピラトがイエスをむち打たせた」とだけ記しています。しかし、美術の世界では、本当にたくさんの芸術家が豊かなインスピレーションのもと、さまざまな表現を試みています。
場所はピラトの宮廷、あるいは審問の間であることが普通です。キリストは柱廊の柱の一本に縛りつけられ、たいていの場合、背中を向けて描かれています。また、顔をこちらに向け、手首をごく細い柱に縛られた姿で表現され、キリストであることが明らかにされた作例もよく見かけます。しかし、ここでは、手首を背中で縛られて柱の前に立つ、言うなれば逃げ隠れすることのない見事なキリストの姿が描かれているのです。
そこには、作者ブラマンテ(1444-1514年)が、実は盛期ルネサンスにおける偉大な建築家であったという事情が大きく働いているような気がします。
ブラマンテは、15世紀から16世紀のミラノを支配したルネサンスのパトロン・スフォルツァ家、またローマにおいては、ルネサンスの最盛期をもたらしたユリウス2世につかえ、大胆で壮大な作品を残しています。彼は、古代建築から採用したデザインを再構成し、新しい完璧な調和を実現した建築家であり、芸術家でした。それはまさに、ルネサンス建築の完成を示すものでもあったのです。有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの壁画「最後の晩餐」が収められたサンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂、サン・ピエトロ大聖堂の造営も、ブラマンテの手になるものでした。
このボリュームのあるモニュメンタルな作品は、キアラヴァッレのシトー会修道院のために制作されたものと言われています。建築家であったブラマンテとしては唯一の板絵であり、93×62cmと、その印象のわりには決して大きなものではありません。
そして、窓から臨む満々と水をたたえた風景、キリストの巻き毛に踊る繊細な光の表現などに、レオナルドの影響が見られることも重要なポイントであると思われます。二人の巨匠は、サンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂造営の折、顔を合わせているのです。
★★★★★★★
ミラノ、 ブレラ美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎イタリア十六世紀の建築
コーリン・ロウ、レオン・ザトコウスキ著、稲川直樹訳 六耀社 (2006-01-25出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳 日本経済新聞社 (2001/02出版)