朝もやの中、一日の始まりを告げる太陽が徐々に昇り始めています。すべてが茫洋と輪郭がぼやけ、かろうじてそれとわかるのはオレンジ色の太陽と、小舟で沖へ出ようとしている人物たちのシルエットでしょうか。空と海の境も定かではなく、ここで画家にとって重要なのが、まさしく「印象」なのだということがわかります。モネは、大胆なタッチで光をとらえることに専心しています。水面に映る太陽の光の揺らめきが、画家の筆の速さと一瞬をとらえる優れた眼を実感させます。
1874年4月5日、第一回印象派展がパリで開催されました。場所はオペラ座近くのカピュシーヌ通り35番地で、当時の正式名称は「画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社の第一回展」という、何とも愛想のないものでした。ルノワール、ドガ、セザンヌ、ピサロ、シスレー、そしてモネらは、サロンに対抗して自分たちの会社組織によるグループ展を開き、作品の販売をしていこうと「共同出資会社」を設立していたのです。
しかし、それがいつの間にか「印象派展」に変わってしまったのは、実は、この作品がきっかけだったのです。
この展覧会に、モネはル・アーヴルで制作した「印象、日の出」を出品したわけですが、批評家たちの評価は辛辣なものでした。サロンの、筆触を感じさせない滑らかな絵画を見慣れた人々には、スケッチ風の大まかな絵の具の塗り方はまるで未完成作品のように見えたのでしょう。
批評家ルイ・ルロワは諷刺新聞「シャリヴァリ」紙上で「印象・日の出」を取り上げた際、
「印象――そうだと思っていました。私もまさにそう言おうと思いました。私がこの絵から印象を受けたのですから、この絵のなかには印象があるはずです。……そして何と自由に、何と気軽に描かれていることでしょう! まだ描きかけの壁紙でも、この海景画よりはもっと仕上がっていますよ!」
と、感情的とも思えるほどに揶揄したのです。
ところが、この記事が発端となって、グループ名自体が「印象派」と呼ばれるようになり、後にこのグループ展は「第一回印象派展」と称されるようになったのです。若い画家たちは逆境を逆手にとって、風景画や風俗画のような「わかりやすい絵画」を好む裕福な市民階級にアピールしたということでしょうか。
モネの後の説明によると、彼は、「カタログ用に題名をつけるよう言われたのですが、『ル・アーヴルの風景』では余りにも単調だったので、『印象』と付け加えるように言ったのです」と述懐しています。画家の作品への思い入れが伺われるようです。
具体的な事物の描写ではなく、大胆なタッチで光をとらえたモネの、当時の常識では考えられないほど斬新な作品は、ル・アーヴル港の日の出だけではなく、作品発表の場を求めた若手画家たちの新たな価値観の船出を印象づける記念碑的作品となったのです。
★★★★★★★
パリ、マルモッタン美術館蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派
アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳 講談社 (1995-10-20出版)
◎印象派美術館
島田紀夫著 小学館 (2004-12出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 (1996-05出版)