空から舞い降りた大天使ガブリエルはマリアの前にひざまずき、右手を上げて聖告を与えます。それは、旧約のイザヤ書(7:14)の成就でもありました。一瞬、当惑の表情を見せたマリアでしたが、やがて胸に手を置き、恭順と謙遜を示します。
これは、古くから親しまれてきた、おそらく私たちには最も馴染み深い「受胎告知」の場面です。しかし、よく見ていくと、大天使ガブリエルが背中を見せて表現されているおかげで、私たち鑑賞者は大天使の背後にいて、この聖なる場面に参加しているような、そんな不思議な感覚にとらわれる構図であることに気づくのです。そして、正確な遠近法によって表わされた建物の内部や戸外への視線の導入が、とても親しみ深い臨場感をもたらします。それはまるで、舞台上の書き割りのようでもあり、これが実際の場面でありそうで、実はあり得ない意図的な装置ではないか、という疑問と微笑ましさを感じさせるのです。
14世紀から15世紀にかけて、聖史劇と呼ばれる新しい分野の演劇が登場しました。キリストの受難、聖人の殉教などを舞台上で演じるもので、最初のうちは教会堂の内部で上演されていたようですが、やがて町の広場に舞台を設置し、本格的に行われるようになります。目の前で繰り広げられる聖なる物語の再現は、当時の人々には大きなインパクトとなったことでしょう。キリストや聖人、天使たちがごく身近な存在として実感され、聖書の教えもより説得力をもって人々に受け入れられたことが容易に想像されます。
そんな中で、画家たちもまた、この聖史劇に魅了さました。そして、それまで教義の絵解きに過ぎなかった宗教画に、よりドラマティックで生命感に満ちた要素を加えるようになります。空間性や人間的重量感といったものが絵画に導入され、芸術が一気に生き生きと動き出したルネサンスにおいて、聖史劇の果たした役割は、決して小さいものではありませんでした。
「受胎告知」もまた、聖史劇には頻繁に取り上げられたテーマです。可憐な聖母マリアと大天使の出会い…..。これほど美しく、崇高な場面はないかも知れません。当時の人々の胸の高鳴りが伝わってくるようです。そして、コッサのこの作品をよく見直した時、私たちはちょっと可笑しくなります。天使のみごとな翼は、じつはヨイショ…と背中に背負うかたちで衣装に取り付けられたもののようですし、頭の上の光輪は、固定された鉄製のかぶり物となっています。このあたりの親しみやすさを見ると、宗教絵画の中に明白に聖史劇の小道具を描き込んだコッサの試みは成功だったと言えそうです。まさにここには、描かれた聖史劇が展開されており、見る者はいつの間にか、同じ舞台上の一員となっているのです。
作者のフランチェスコ・デル・コッサ(1435頃-1477頃)は、15世紀フェラーラ派の画家であり、同派のトゥーラ、ロベルティと並ぶフェラーラ派三大巨匠の一人でした。フェラーラ派は、コズメ・トゥーラの作風に代表される、歪められた形態、うねるような衣の襞、ほたて貝の殻を思わせる輪郭線を多用した、入念で細密で装飾的な描法に特徴がありました。また、描写は鋭く、色彩はごく刺激的なものですが、どこか異様な印象を与える作風であったことも確かです。コッサはその中でも、よりいっそうの重厚さ、繊細さを備えた画家だったと言えると思います。
コッサは後年、フェラーラを去ってボローニャで活躍し、そこで制作した祭壇画が現在、三点残されています。この作品は、その中の一つ、『オッセルヴァンツァ祭壇画』に描かれた『受胎告知』なのです。下方には『キリストの降誕』を見てとることができますが、こちらも自然の中の風景ながら、どこか舞台装置めいた感じを受けるのは、中央の馬小屋の正面部分がまったく開放されて、観客を意識した構図になっているせいかも知れません。
ジョットが活躍した14世紀から盛んになった聖史劇は、多くの画家に影響を与えながら、やがてレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』で頂点を迎えたと言われています。絵画と演劇の関係は、宗教画を魅力的なものに発展させ、それを見る私たちにより親しみやすい、実感を伴った芸術として、喜びを提供してくれるようになったのです。
★★★★★★★
ドイツ、 ドレスデン国立絵画館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-03-05出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)