ルネサンス風の柱廊の内部で、今まさに告知が行われようとしています。
大天使ガブリエルは、舞い降りたばかり。右のつま先だけが地面に触れて、みごとな翼はまだ完全には畳まれていません。急いでやって来た彼女(彼?)の息づかいが聞こえてきそうです。しかし、神の御使いは慎ましくその身を傾け、交差した両手で畏敬の念を表します。
一方、突然の天使の出現に、マリアはただただ驚きの表情で彼女を見つめます。しかし、優美な衣装と頭上の光輪から、これが単なる使いではないことを悟り、戸惑いながらも大天使への挨拶を返しています。全人類にもたらされる救いを、この少女の一身に託すため、天使は重要な事実を告げにきました。マリアは、神の子の母親となるのです。
15世紀の初め、修道士を意味する「フラ」と、天使を意味する「アンジェリコ」を合わせて「フラ・アンジェリコ」と呼ばれた画家は、受胎を告げる天使と控えめな態度でそれを受ける敬虔なマリアというテーマを好み、生涯を通じて繰り返し描いています。彼の神秘主義的な着想によって、その芸術は初期ルネサンスにおける最も感動的で比類なき位置を保っていますが、それは澄み切った色彩と叙情的な感情表現のみでは語りきれない、画家の飽くなき探求心から生み出されたものと言えます。
これより10年ほど前に描かれた「受胎告知」を見ると、画面は非常にシンプルです。柱廊の内部も、天使とマリアの姿だけが清冽に印象的に描かれ、私たちはその美しさに魅了されます。さらに、それから約3年後になると、マリアと大天使の間は親密さを増し、少女マリアにも人間的な表情が加わります。柱廊の内部も装飾的になって、外には、楽園追放らしき光景が描かれるようになります。
そして、それからさらに約5年後、この華麗な画面に辿り着きます。この作品には、たくさんのものたちが象徴的に描き込まれ、なかなか賑やかで、ある意味では見飽きない「受胎告知」となっているのです。
マリアは、あまりにも衝撃的な告知を聞いて、呆然としているように見えます。優しく従順なマリアでさえ、大天使の言葉に異論をとなえたと記されていますから、そのときのショックがどれほどのものだったか察しがつきます。無垢の少女のまま母になるなど、信じがたいことだったに違いありません。しかし、大天使は、「聖なる息吹があなたの上に臨み、神の力があなたを影で覆うだろう」と言い、子を授かるだろう、神に不可能はないと告げるのです。これを聞いたマリアは、「私は主のしもべです。あなたのお言葉通りのことが私の身に起きますように」と言うしかありませんでした。
ところが本当に、その通りのことが起こるのです。左上の神の手からマリアに向かって、一筋の光が伸びているのが見えます。その光の道筋に沿って、聖なる息吹のシンボルである鳩が一羽、マリアに向かってまっすぐに飛んでいるのです。これは、受胎の告知と同時に、まさに奇蹟が起こる瞬間なのです。しかし、それが具体的にどのように起こったかは誰にもわかりません。だからこそ画家は、奇蹟の寸前で描写を止めているのです。
さらに、もう一羽、柱廊の内部にツバメが描かれているのがわかります。ツバメは、春の訪れを意味します。イエスは、まさに希望の春に授かったのです。
ところで、画面向かって左側には実り豊かな庭が描かれています。人類の父と母たるアダムとイヴが大天使ミカエルに追放される様子が見えますから、ここはエデンの園なのでしょう。二人が衣服を身につけていることから、原罪を犯した後だとわかります。美しい楽園を出なければならない苦悩と不安は、いかばかりでしょうか。しかし、イヴは救われるのです。それが、右側の受胎告知のシーンです。マリアは二人めのイヴとなり、最初のイヴが犯してしまった罪を救済する役目も果たすことになるのです。
そんな二人のイヴを、神が見つめています。神が他の女性でなく、質素で慎ましいマリアを選んだ理由は、永遠の謎かもしれません。しかし、神には全く迷いがなかったことでしょう。正面に彫刻された神の表情は、満足感と安堵に満ちているのですから。
★★★★★★★
マドリード、 プラド美術館蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-03-05出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ、宮下規久朗編 日本経済新聞社 (2001-02出版)