人差し指を天に向けて、一心に神の御心を告げる天使は少年のような美しさで、熱心にお告げを伝えながらも、美しいマリアを目の前にして少年らしいためらい、遠慮のようなものも感じさせます。こうした品の良さ、そして自由な色彩こそ、オラツィオ・ジェンティレスキの絵画ではないか、という気がします。
イタリア・バロックの巨匠オラツィオ・ローミ・ジェンティレスキ(1563-1629年)は、イタリアでは数多い芸術家一家のひとつジェンティレスキ家の一員です。ローマの叔父の工房で修業したと言われていますが、画家として名が知られるようになったのは40歳を過ぎてからでした。その後、彼はカラヴァッジオと個人的な知己を得、カラヴァッジオの明暗法と写実主義を取り入れるようになります。しかし、ジェンティレスキの絵画は飽くまでもカラヴァッジオの様式を、より穏やかな形で発展させたものでした。大天使の足の裏がはっきりと見てとれることにカラヴァッジオの影響を感じることができるものの、そこには決して清らかさを損なうことのないジェンティレスキならではの瑞々しさがあります。カラヴァッジオの持つ迫力には欠けますが、色調の移行は本当に上品で、画家が基盤としたトスカーナ派の伝統である熟練した線描が彼の絵画を支えていました。
この『受胎告知』は、貴族サウリ家に招かれてローマを離れた画家がジェノヴァ滞在の折に描いたもので、その洗練された高貴さゆえにジェンティレスキの最もよく知られた作品のうちの一つです。冷たい色彩と鋭い衣の襞の線、そして少ない人数の画面はトスカーナ派の特徴でした。そして、聖母の純白のベッド、その後ろに掛けられた大きな赤い布はおそらくカラヴァッジオへのオマージュでしょう。現実的で清らかな光が、この豊かな画面全体を包み込んでいるようです。
ジェンティレスキはジェノヴァ滞在を期に一気に著名画家となり、多くのパトロンを得るようになりました。そして、1624年にはパリへと赴き、1625 年頃までマリー・ド・メディシスのために制作をしています。次に1626年にチャールズ1世の宮廷に招かれ、終生イギリスにとどまることとなるのです。ジェンティレスキが生涯最後に手がけたグリニッジのクィーンズ・ハウスのための天井画装飾は、イタリアから呼び寄せた娘のアルテミジアとの共作となりました。そして、そのアルテミジア・ジェンティレスキは、オラツィオの優れた後継者となっていきます。
ジェンティレスキの洗練された作品たちは、王室や個人注文者から称賛され、愛されました。そしてしばしば、同じ構図で何枚ものヴァージョンを制作しています。この作品の同ヴァージョンも現在、ジェノヴァのサン・シーロ聖堂に所蔵されているのです。
★★★★★★★
トリノ、 サバウダ美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎新約聖書
新共同訳 日本聖書協会
◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-03-05出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)