数ある受胎告知の中でも、この作品は特に洗練された美しさを醸しています。丁寧に彫刻された柱は細部までみごとに描き込まれ、建物全体の甘やかな優美さには魅せられてしまいます。これは、15世紀に絶頂を極めたウンブリア美術の美しさを示す代表的な作例と言われる「受胎告知」なのです。
ウンブリア美術とは、テヴェレ川が縦断するイタリア中心部の山の多い地方に生まれた美術動向であり、この地はアッシジのフランチェスコが生まれ育った土地としても有名です。そして、非常に興味深いことには、ウンブリアは建物を造る人々の国なのです。ロマネスクの建築は、ここで確固たる勢力を持っていたと言われ、アッシジの大聖堂などはその良い作例なのです。
そんな15世紀ウンブリア派の画家ピントゥリッキオ(1454頃-1513年)は、ウンブリア地方やローマでルネサンスにおける最高の装飾的構想を示し、大規模な装飾で人々を魅了しました。彼は15世紀半ばにペルージャの美術界に登場し、ペルジーノの工房で、その微妙な光の扱いではなく、甘美な様式を学びました。考えてみれば、ウンブリア芸術というと「甘美さとやわらかさ」が信条ですから、ピントゥリッキオの画風は、ウンブリア画派になくてはならない要素を初期の頃からしっかり示していたことになります。この建物内部の凝った描写、活気に満ち、空想的な空間表現も、建物をつくる人々の国の画家らしい興味の産物と言えそうです。
ピントゥリッキオは、非常に多作な画家でした。システィーナ礼拝堂の重要な壁画制作をはじめとして、ローマ、シエナ、ウンブリア地方各地で旺盛な制作活動を続けています。その豪奢な画風はやがてラファエロの興味をも引くこととなりますが、そうした装飾趣味の故か、この作品は確かに「受胎告知」を描きながらも、登場人物たちは目を楽しませる美しい存在としてそこに置かれただけのように見えます。聖母も、大切なお告げを携えた大天使ガブリエルも、まるで人形のように動きを止めています。ピントゥリッキオは聖書のテーマを借りながら、実はこの古代のモティーフを取り入れた美しい建物をこそ描きたかったのかも知れません。父なる神から遣わされた聖霊の鳩が一直線にマリアに降りる光跡が、外に向かって開かれた回廊を斜めに突っ切る思い切りの良さも、画家の自信の現れのように感じられます。
ところで、この作品は、ペルージャの司教トロイロ・バリオーニが、ウンブリア地方の小都市スペッロの同聖堂内、バリオーニ礼拝堂に描かせた壁画連作の一つですが、よく見ると、画面右の壁の下方に一枚の板絵が掛けられています。ここに描かれている人物は、ピントゥリッキオその人であり、彼はこんなところに自画像を紛れ込ませていたのです。サインの習慣がなかったこの時代の画家にはしばしば見られることながら、当時売れっ子だったピントゥリッキオの自負が、ここにも垣間見えるようです。
★★★★★★★
ペルージャ、 サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂、バリオーニ礼拝堂 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎新約聖書
新共同訳 日本聖書協会
◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-03-05出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)