この長い髪をなびかせた躍動的な少女の絵は、ミュシャ独特の四点セットの装飾パネルの一つ「四芸術」のうちの一点、「ダンス」です。
可愛らしくてコケティッシュなこの作品の他に「詩」、「絵画」、「音楽」の芸術が、女性像によって寓意的に表現されています。
これは、ルネサンス以来の伝統的なテーマであり、背景の円形枠も三日月形と決まっていたようです。
「詩」はメランコリックに、「絵画」はやさしい表現で、そして「音楽」は両手を耳に当てたポーズで描かれていて、どの作品も本当に美しく、ミュシャらしい明るさと気品とさわやかなエロティシズムが漂っていますが、その中でもこの「ダンス」の少女の生き生きとした動きに満ちた表現は、非常に印象的です。
他にも、四つの季節を表現した「四季」などが有名ですが、ミュシャの場合、どうしてもこうした装飾的な、19世紀末のパリで流行したアール・ヌーヴォー様式の代表的画家・・・というイメージが強く、また、そのイメージしかない、と言ってしまっても良いと思います。
彼を一躍有名にした、舞台女優サラ・ベルナールをモデルにした「ジスモンダ」のポスターは、横顔と等身大の姿が人々に強烈な印象を与え、ミュシャの名声を確固たるものにしました。
そして、この仕事によって、ミュシャはすっかり、ポスターやいわゆる装飾パネル、豪華本の挿絵などの画家として、脚光を浴びるようになってしまったのです。確かに、ポスターの中の彼女たちは文句なしに美しく、魅力的です。
しかし、チェコ出身の彼の中には、スラヴ民族の歴史を一種の宗教的空間のなかで展開したいという願いが、絶えず支配していたようです。そのため、プラハに戻って、古代から今日にいたるスラヴ民族の歴史を象徴的に表現した「スラヴ叙事詩」を描くことが長年の懸案であり、自らの使命でさえあると感じていたふしがあります。
ですから、それが実現し、その20点の大作に私たちが圧倒されたとき、ミュシャの祖国に対する想い、絵画に対する真の情熱が、晩年になってやっと成就されたのだと、胸いっぱいに感じることが出来るのです。
「ダンス」を描いたころのミュシャには、まだもう少し時間が必要でした。