1834年10月16日の夕方、ロンドンの国会議事堂が燃えているとの一報を聞きつけたターナーは現場に駆けつけ、その様子を水彩で写生しました。スケッチブック2冊になったといいます。この作品はその水彩をもとに完成させた油彩画です。当時はもちろん写真がまだ普及しておらず、事件の内容は版画で報道されました。炎上中の建物や消火活動の様子がわかりやすく表現された版画とは対照的に、ターナーの興味はひたすら炎や大気に向かっているようです。こうした大災害に向き合っても、ターナーはその中に美を見出しているのです。
ジョーゼフ・マラード・ウィリアム・ターナー(1775-1851年)は、カンスタブルと並ぶイギリスの風景画家です。ロンドンの理髪師の子として生まれましたが少年のころから絵が上手く、早くから素描家として仕事をしていました。20代後半には一流画家の仲間入りをしており、その斬新な視点と画風から、当時は賛否両論で評価を受けた画家でした。32歳で遠近法の教授となっています。
そしてターナーは旅行を重ねた画家でした。古典にも学びながら、さまざまな自然現象に魅了されていました。44歳のときに行ったイタリアで色彩に目覚め、陽光降り注ぐ明るい気候や町並みから多大な刺激を受けました。やがて色彩は鮮やかさを増し、形と色は光の効果のもとに混然一体となっていくのです。
ところで彼はかなりの変人だったようです。身なりに構わず、いつも汚い格好で平気でした。結婚もせず、光と色彩の追究を友とし、晩年には身分を隠して偽名で借りていたロンドン市内の家で亡くなっていたといいます。
ところで、作品の主題である国会議事堂の火災の原因は、ストーブの過熱によるものでした。この火災により議事堂のほとんどが焼失したといいます。ところがターナーの作品は色と形が渾然となり、全容をはっきりとつかむことができません。この全てが溶け込むような風景画こそターナーだったのです。
ルネサンス以降、西洋絵画の伝統として形態を把握し、正確にデッサンする能力が求められました。そういう意味では物の形をはっきり描かないターナーの作品は、当時の人々には未完成に見えたようです。しかし恐らく彼自身は、そうした風評を全く意に介さなかったのではないでしょうか。それよりもターナーの興味はフランス古典主義の巨匠、風景画家のクロード・ロランにあったようです。彼の作品を見て、自分にはこのような絵はとても描けそうにないと珍しく落胆していたといいます。
★★★★★★★
フィラデルフィア美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎不朽の名画を読み解く
宮下 規久朗 (著、編集) ナツメ社 (2010-7-21出版)
◎名画のすごさが見える西洋絵画の鑑賞事典
佐藤晃子 著 永岡書店 (2016-1-20出版)
◎木村泰司の西洋美術史
木村泰司 著 学研プラス (2013-12-17出版)