広げた地図の前に見をかがめ、視線を宙にまよわせる地理学者の深く思索する様子が、フェルメールらしい窓からの柔らかい光の中に、重厚さと繊細さを伴って描き出されています。
奥の壁の右上にはっきりと見える署名と「1669年」という年記はあとから書き込まれたものらしく、オリジナルの署名とおもわれるものは戸棚の扉にかすかに見えています。左手に体重をかけ、右手にコンパスを持つ一瞬の動作の中に、この地理学者の充実した永遠の時がひそやかに豊かに凝縮されているのです。
フェルメールは、思索にふける人間を二人描いています。この「地理学者」と天体儀の前に座る「天文学者」です。これは、女性を多く描いているフェルメールにしてはめずらしいテーマといえるかも知れません。しかし、画面左手にある窓の中で明滅する光を、フェルメール自身が息を殺して見つめている、その息づかいが聞こえるようで、彼の描く、永遠に続くかと思われる静謐の時の中に、私たちはこの地理学者と共に封印されてしまいそうな、心地よい錯覚におちいっていくのです。
フェルメールの手になる光のなかで、じっと遠くを見やる地理学者….彼の視線の先には何があるのか…..とてもとても聞いてみたい気がします。そして、この真摯な地理学者の姿に、画家自身の姿を…..窓の光の拡がりの中にすべてを包み込んで光の現象に変換してしまう、画家自身の姿を見てしまうのは、私ひとりではないだろうと思うのです。
フェルメールの場合、彼の生涯を知ることのできる確実な資料が乏しく、彼自身も自分の姿や現実生活のかけらさえ見せないタイプの芸術家です。だからこそ私たちは、永遠の謎の中を漂い続けなければならないのです。この完成された光の小宇宙で視線を彷徨わせる地理学者のように……。
★★★★★★★
フランクフルト シュテーデル美術研究所蔵