ここには、容赦ない死が厳然と横たわっています。
青黒く変色した顔や手足は、すでにそうとう腐乱していることを示しています。まっすぐに硬直した骨張った身体、まるで何かを指し示すようにピンと伸びた右手中指、何者も映さなくなった目、汚れた死衣と遺体に敷かれた布の生々しい皺のあまりの写実に、言葉さえ失ってしまいそうです。
しかし、この屍は、死後3日目のキリストの姿なのです。
棺の中に置かれた遺体、ただそれだけの描写など他には見たことがありません。甘い感傷も、泣いてすがる聖母の姿もありません。ここには、生きていた時はイエス・キリストと呼ばれた男の仮借なき屍が横たわるだけです。
この作品は、棺の中を実際に真横から見たままを描いており、そもそも棺のサイズに合わせて画面を作ったようにさえ見えます。30.5×200㎝という大きさは、棺の側面板とほぼ同じなのです。ある意味、棺のだまし絵といったところかもしれません。
そう考えると、ホルバインは彼の代表的な作品「大使たち」でも、床の中央に謎めいた骸骨の歪曲像を描いています。この画家のそうした個性は、宮廷画家として優れた肖像を数多く残した描写力のさらなる極致と言えるような気がします。
ハンス・ホルバイン(1497/98-1543年)は、ロンドン、バーゼルなどで活躍した、ドイツ・ルネサンスを代表する画家の一人です。父は同名の大画家、兄も才能あふれる画家でしたが、惜しくも夭折しています。
ハンスの早熟ぶりは、18歳でバーゼル市長夫妻の肖像画、「ヤーコプ・マイヤー氏像」、「マイヤー夫人像」を依頼されたことでもわかります。ヨーロッパ各地を旅して顧客を求め、1526年にはアントウェルペンを経由してイングランドまで渡り、トマス・モアの肖像、モアの家族の肖像を描いています。
一旦、バーゼルに戻り、1532年に再びイングランドを訪れてからは、ヘンリー8世の宮廷画家となります。彼は、王のための絵を多く描き、ヨーロッパ史上屈指の宮廷画家にまで上りつめていくこととなります。
初期フランドル絵画から生まれた写実主義の潮流と、人文主義的なイタリア・ルネサンス美術の潮流が、ヨーロッパを股にかけて活躍したハンス・ホルバインの画業を形づくりました。すぐれた宮廷画家として押しも押されもせぬ存在となったホルバインは、単純ならざる要素を持った芸術家だったのです。
そんなホルバインの、あまりにも北方的で冷徹な描写力は、モデルを美化して描くことが鉄則だった宮廷肖像画家の技術とは、また違う側面をもって見る者に迫ってきます。
★★★★★★★
スイス、 バーゼル美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎ルネサンス美術館
石鍋真澄著 小学館(2008/07 出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)