この少女の強い視線はそうとう印象的です。もし画面のこちら側をまっすぐ見ていたら、鑑賞者はその視線だけで焼き尽くされてしまうのではないでしょうか。そして、彼女の鋭い横顔と野性的な美しさは、後ろに広がる荒涼とした空の色にぴったりとはまって、見る者の胸を震わせます。
こんなに烈しい女性の顔を、こんなに堅実な写実ではっきりと描ききった画家が今までにいたでしょうか。ロマン派の巨頭ドラクロワの真骨頂が彼女に集約されてしまっているようです。
ドラクロワはたまたま墓場で見かけた若い女の寂しげな表情が印象に残って、この絵を描いたのだと言われています。タイトルの通り、彼女が実際に孤児だったのかどうかはわかりませんが、少なくともドラクロワの心には、孤児になってしまった少女の哀しみ、絶望感が焼き付けられたようです。
ドラクロワ自身、7歳のときに父を、16歳のときには母を喪っています。この少女の姿と視線は、ドラクロワ自身のものなのかも知れません。
ドラクロワは近しい人との縁がうすい人です。両親を早くに、また姉のアンリエットを29歳のときに喪ったこと、生涯独身であったことももちろんですが、尊敬し、親友でもあったアトリエでの先輩ジェリコーも、落馬がもとで若くして亡くなっています。しかも病弱で、後半生は悪性の喉頭炎に悩まされ続けたわけで、躍動的な画風にくらべ、その一生は苦しみの連続だったと言っても過言ではありません。
しかし、ジェリコーの死は、ドラクロワにいやおうなく新しい道を拓きました。それは、ロマン派の先駆者であるジェリコーに代わって、この新しい気運を押し立ててゆく、ロマン派の新しい旗手となることでした。
そして、芸術的才知にあふれ、生命感そのものを描くことに前向きなドラクロワは、この少女と同じ絶望感から立ち直って、あざやかにその役割を引き継いでいったのです。
★★★★★★★
パリ、 ルーヴル美術館蔵