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「士官と笑う女」

ヤン・フェルメール (1657年)

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 風俗画として考えるとしたら、士官と女の組み合わせというと、女性は娼婦である可能性が高いと思われます。でも、この少女のかげりのない清らかな笑顔は、そうした慣習的な意味合いをどこかへ吹き飛ばしてしまいます。そして、窓から差し込むたくさんの光を受けて輝き、それを見る私たちは限りない安心感に満たされていきます。

 これは、ありのままの光を描いた最も初期の作品だと思われます。窓の一つが開け放され、外光によって輝く窓枠と、閉まっているほうの窓の格子が、くっきりと対照をなしています。また、正面の地図やテーブルの明るさも、忠実に観察された光が描かれたもので、一見すると、とてもわかりやすい作品に仕上がっているように見えます。

 ところが、一方で、この絵はとても奇妙な違和感に支配されているのです。 テーブルのこちら側にほとんど黒いシルエットで表現されている士官と向かい側の少女は、ごく近い位置で会話を楽しんでいるにもかかわらず、少女にくらべて士官が大き過ぎるのです。少女があまりにも小柄な人なのだと言ってしまえばそれまででしょうが、常識的に考えて、二人の距離がもっと相当離れていなければ、この大きさの差はあり得ないはずです。この、なんとも表現しがたい違和感はどうしたことでしょうか。
 左の窓の遠近法的表現によって、壁にかけてある地図までの奥行がわかるのですが、絵画全体の後退するスピードは、現実感覚よりもずっと大きいと言えます。これは、フェルメールの視覚の歪みかとも考えられるのですが、一説では彼がカメラを使っていて、それをもとに制作していたのではないかと言われています。というのは、これと同じように実際の空間関係以上に距離感が大きすぎる作品として「音楽の稽古」「リュートを調弦する女」などがあって、これらは広角レンズを使って撮影したものに似ているというのです。
 当時、オランダで光学装置がかなり発達していたのは事実ですから、フェルメールが暗箱を使って絵画の構想を立てたというのは、そうとう現実味を持った説かも知れません。真偽のほどはわかりませんが、そうだとすると、遠近感の違和感も納得できます。

 室内での閉鎖された静かな制作の反面、公的には活動的にギルドの仕事をこなしていた実務家フェルメールの顔が、ふと垣間見えるような気がします。  

★★★★★★★
ニューヨーク、 フリック・コレクション蔵



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