この清らかで静かな作品は、ジョットがフランチェスコ会の修道士に招かれて、パドヴァに滞在中、エンリーコ・デ・スクロヴェーニのために制作した、同家の礼拝堂の壁画の一つです。
イスラエルの民、ナザレのヨアキムとその妻アンナは聖母マリアの両親ですが、画面右側にうずくまって眠るのはそのヨアキムです。
彼と妻アンナは長いあいだ子供に恵まれませんでした。そのため、ヨアキムはエルサレムの神殿に生け贄の羊を捧げに行きますが、子なき者は供犠を行う資格がないとして、宮から追い出されてしまいます。絶望したヨアキムは家に帰ることができず、みずからに苦行を課し、神の赦しを得ようと、羊飼いたちが羊の群れを守る荒野へと出て、あてどなくさまよいます。
彼は40日40夜、荒野で神に祈りました。すると、神の使いである天使が夢のなかに現れ、「ヨアキム、ヨアキム、汝の願いは主に聴き届けられた。家に立ち戻れ」と呼びかけます。そして、妻が身篭るだろうと告げるのです。
その聖なるお告げの一瞬前…ヨアキムはまだ悩みのなかで眠っています。木々が削り取られた山の稜線、ゴツゴツとした幻想的な形の岩山も画面のなかにつつましく存在し、すべてがヨアキムの深くつらい眠りを暗示しているようです。
しかし、そんな彼に向かって、青く青く開かれた空から、天使が急降下して来ます。まっすぐに、良き音信(エヴァンゲリウム)のしるしである百合の花と神の言葉をたずさえて….。
それにしても、この天使の清冽な美しさには胸を打たれます。頬をばら色に紅潮させ、この嬉しいお告げを早く早く、ヨアキムに伝えなければ…と、彼女自身にも胸の高鳴るような想いなのに違いありません。本当に、画面を対角線に沿って大急ぎで降りて来る様子が、この静かな作品の中でただ一点、生き生きとした生気を放っているのです。
ところで、ジョットは聖フランチェスコ会の委嘱によって、フランチェスコ会教会のための壁画制作に携わることが多かったのですが、これは彼が、アッシージの聖フランチェスコ(1182-1226)に深く傾倒していたためと言われています。それは、娘の一人にキアーラ(フランチェスコを慕って髪を切り、行動を共にしたことで有名な女性)、息子のうちの二人にフランチェスコという名をつけたことからも明らかです。
しかし、ジョットが何故そこまで聖フランチェスコに心ひかれたのかは謎です。ただ、フランチェスコのこの上ない受苦の人生の中に、ジョットは実在に対する、おそるべき積極的姿勢を見たのかも知れません。
キリストにならって己れの肉体を鞭打つかのような人生を送った聖フランチェスコは、その苦行の向こうに真の幸福を見ていたのではないでしょうか。そして、その幸福感に到達することをジョットも望みながら、自らの人体表現を完成させていったのではないのか…そんな気がしてならないのです。
★★★★★★★
パドヴァ 、 スクロヴェーニ家礼拝堂蔵