ヤコブは、ユダヤ民族の3番目の偉大な族長であり、教会の教えではキリストの予型の一人とされています。このように、旧約聖書は、死んで復活したキリストに照らして読まれ、新約が旧約の中に秘められていると言います。
このテーマは、「創世記」32:22―32が典拠となっています。
兄エサウから長子の特権を奪ったことでエサウの怒りを買い、それをなだめるために羊や贈り物を伴って行く途上で、ヨルダン川支流の小川ヤボクにさしかかりました。ところが、一行を渡らせたあと、一人残ったヤコブに一人の男がしつこく論争をしかけてきたのです。二人は格闘となり、それは夜明けまで続きました。やがて、苦戦を強いられ、ヤコブに勝てないと考えた男はヤコブの太股に触れ、その関節を外したのです。
男がそのまま立ち去ろうとするので、ヤコブは自分を祝福してくれるように頼みました。それが、神秘的な闘いであったからです。すると相手は、「あなたは、もはや名をヤコブと言わず、イスラエルと名乗りなさい。あなたが神と力を競って勝ったからです」と告げ、祝福しました。
一説には、これはヤコブ自身の自我との闘いであったと言われます。天使に関節を外されたとき、ヤコブのかたくなな心も砕かれたということなのかもしれません。
初期キリスト教美術においては、ヤコブの相手は神自身であったようです。それが、のちには天使として描かれるようになり、格闘は地上におけるキリスト教徒の魂の苦闘を象徴するものとされました。
このテーマでは、普通、天使とヤコブの力のこもった格闘の様子が描かれます。ドラクロワやゴーギャンの作品が、比較的有名かもしれません。
しかし、世紀末のナビ派の画家モーリス・ドニ(1870-1943年)は、こんな抒情的な表現を用いました。二人の人物は闘うというより、まるで踊っているように見えます。どちらが天使かヤコブか、それさえ判然としません。と言うより、二人はそもそも女性のような可愛らしさなのです。遠いので表情などもわかりませんが、どこかボウッとした夢の世界、おとぎ話の一場面のようでもあります。
おそらくドニの興味は、聖書の物語を描くことにはなかったのでしょう。彼の目指したものは、魂の世界の表現だったのです。そのために、色や線は詩の中の言葉のようでなければなりませんでした。もっと自由に主観的に描くことが彼の目指すところだったのです。ドニは、ナビ派の理論家と言われました。
「ナビ」とは、「預言者」を意味するヘブライ語です。ナビ派は、象徴主義美学の影響を受けたフランスの若い画家たちのグループで、色と線を崇拝し、美術界の新しい風たらんとして結成されたのです。その中心人物はポール・セリュジェやドニであり、徹底した輪郭線の強調、平面化が特徴でした。彼らは、自然の模倣をやめ、美術家の主観的感情をこそ表現すべきだと考えたのです。
そういう意味では、ドニたちの目指した絵画は印象派とは正反対のものでした。ナビ派にとって絵画とは、あくまでも、一定の秩序に組み合わされた色彩の平面だったのです。この線と面の考え方は、当時盛んになりつつあったポスター制作、印刷メディアにも影響を与えました。それは、やがてグラフィックデザイン、イラストレーションなどにもつながっていくものだったのです。
★★★★★★★
ローザンヌ、 個人蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術解読事典―絵画・彫刻における主題と象徴
ジェイムズ・ホール著/高橋達史・高橋裕子ほか訳 河出書房新社 (1988-05-10出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派美術館
島田紀夫監修 小学館 (2004-12出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 (1996-05出版)